アート

ホキ美術館探訪

連休後半の初日、千葉市は土気(とけ)にあるホキ美術館に遊びに行ってきた。ホキ美術館は開館後2年を経過したばかりというできたてホヤホヤの美術館である。医療用品の会社であるホギメディカルが資金を出しているのか、あるいは経営者が私財を投入している…

HASHIさんの展覧会を見に行く

上野の国立西洋美術館で開催されている「ローマ未来の原風景byHASHI」を見に行く。ニューヨークで活躍するHASHIこと写真家の橋村奉臣さんが行っている個展で、この展覧会は国立西洋美術館の開館50周年事業の一環に位置づけられている。個展のテーマはローマ…

HASHIさんが展覧会を開催する

写真家のHASHIこと橋村奉臣さんにお会いした。1年ぶりの再会である。以前から拙ブログをご笑覧頂いている方には、HASHIさんの名前はしばしば登場するブログ仲間同様、なじみ深い響きであるはず。長くご自宅を持つニューヨークでご活躍を続け、広告写真の世界…

吉田哲也遺作展を見てきた

mmpoloさんお勧めの展覧会を見てきた。■吉田哲也遺作展(『mmpoloの日記』2009年4月29日) 作品はむき出しの繊細さと理知的な慎ましさの見事な融合の痕跡だった。一般的に言って、人が創作を行うとき、それが美術作品であれ、音楽であれ、映画であれ、創作者…

元田久治展

二十代の前半、一週間ベルリンで過ごした思い出がある。ある日の午後、現地に住まっていた当時の友人−−いまはもう音信が途絶えてしまったが−−に操車場の跡地に連れて行かれた。当時、第二次大戦から三十数年を経てベルリンにはそんな場所がまだ残っていた。…

遠慮する日本のわたし

一昨日、写真家の橋村奉臣さん(HASHIさん)から思いがけない電話をいただき、昨晩夕食をご一緒することができた。12月中旬にお会いしてからまだ一月も経っていない。間髪を入れずの帰国に驚いたが、忙しい合間を縫ってお声をかけていただけるのはうれしい限…

マチエール

今日のmmpoloさんのエントリーがとても面白い。その最後は次の一節で締めくくられている。 画家であり美術評論家の門田秀雄さんは平山郁夫について、彼のマチエールは特別だ、輝いている、それが人々を惹きつける大きな魅力なのだと教えてくれた。 (晩年の…

小磯良平

先週、神戸に行ったときに地元企業の方と雑談を交わす中で小磯良平が神戸の人で、その個人美術館がポートアイランドにあると教えられた。小磯はその方の高校の先輩にあたるという。それを聞いて、ぜひということはなかったものの、時間があればちょっと覗き…

写真の奥の深さ

写真を撮って「こんなきれいな風景が撮れた」と自分自身がびっくりしてしまい、たわいもなく小さな感動を味わう。写真ブログをやり始めたおかげで毎週末写真を撮りに歩くようになり、そんな日々が続く。この感動は、今の自分の日常をしっかりと支えてくれて…

植田正治の作品に思う

Emmausさんの植田正治をめぐる文章に触発された。 かつて植田正治 http://www.japro.com/ueda/は写真についてこう言っている。 美しく、めずらしく、貴重な被写体であっても、対象の価値によりかかりすぎたものに心をうつ美しさや感銘を得ることはない。うち…

旅行者の目は当てになるか

明日から短いけれど、私の個人史にとっては貴重な体験となる初めての北海道旅行に行ってきます。今回の旅行では三上さんというこれ以上を望めない伴侶を得て、たぶんそのおかげで通りすがりの者では普通は見えないものを見ることができるはずだとわくわくし…

「穴」と「Siedlung」

三上さんのレポートが面白かった。お住まいになっている札幌南部の土地に、かつて先住民族が岩山の壁を削って作った「穴」があるという。ふつうの住宅街と隣り合わせの場所にこうした遺跡がふつうに残っているのが人口百万人の大都市の話だということからし…

タウトの「アルプス建築」

ブルーノ・タウトは、戦前日本にやってきたドイツの建築家で、桂離宮を褒め称え、日本人の自尊心をくすぐった人物として記憶されている。ところが、この人の建築作品を知っている人は建築の専門家を除くとわずかだろう。私も知らなかった。そして、驚いた。…

我、日本文化を愛す

熱海に遊んだ二日間、テレビも新聞も、インターネットにもさわらなかった間に現実の物理的な雲向きがいっぺんに変わってしまい、出かける前は「来週も晴れるでしょう」だったはずの天気予報が連日の雨と曇りを伝えている。狐につままれたような気分。秋霖の…

鈴木久雄著『ブルーノ・タウトへの旅』

テレビ東京でドキュメンタリー制作を手がけていた鈴木久雄さんが2002年6月に上梓した『ブルーノ・タウトへの旅』(新潮社)を昨日、図書館で見つけた。タウトの生地であるケーニヒスベルク(現カリーニングラード)、彼がキャリアを積んだベルリン、終焉の地…

またブルーノ・タウト

ブログにモーツァルトについて書けば、検索エンジンを通じてネットにさざ波が立つ感覚を味わう。カメラのことを書いても、松坂のことを書いても同様に。広い琵琶湖のほとりで石投げをするようなものだが、それでもどこかで反応があるのがブログの面白いとこ…

旧日向別邸のブルーノ・タウト

このブログをお読みいただいている方に建築についてご興味を持つ方が何人ぐらいいるのか分からないが、書いている私はまるで何も知らない素人で、そんな私が建築家の話題に触れても誰が面白がるものかと及び腰にはなる。でも、そんな素人が何かを書いてみた…

年に一度の再会と楮佐古晶章さんの作品のこと

昨日は、ワシントンに住むNを囲んで食事とおしゃべりの夕刻をすごした。高校時代の友人3人で気のおけない自由な時間。国際機関の中枢で想像を絶するような日々を送っているNの話を肴に中華街で一次会。その後、大型客船が停泊する大桟橋で港横浜の夜景を楽し…

「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」

東京国立近代美術館で開催されている「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を観た。数年前に亡くなったカルティエ=ブレッソンの大規模な回顧展。そう言ってよい質と量の見応えのある写真展だ。 僕の写真家に対する知識は限られたものでしかない…

フェティシズム

インターネットでアマチュアの写真ブログを見ていると、はて、この人は写真が好きなのか、それともカメラやレンズが好きなのかと思えるタイプの御仁がけっこういることに気がついた。こだわりは分からないではないが、僕について言えば大した写真も撮れない…

世界で戦うのは楽じゃなさそう

前回のエントリーでFlickrのことを書きました。あれからも時間を作ってはFlickrを見ているのですが、ポストされている写真の質はやはりはんぱじゃないですね。玄人はだしというか、プロフィールを見ると実際にプロやプロの卵の人たちがたくさんいるようです…

イーゼンハイムの祭壇画

水曜日に自由時間が出来たので、上野で開催しているレオナルド・ダ=ヴィンチの展覧会、「受胎告知」が来ているやつに行こうかとふいに思い立った。東京駅まで行ったのだが、そこでいや、平日の3時とはいえどうせ大勢の人がいるに違いないと思い始めるとたち…

写真を撮っていて思うこと

アメリカで4年余の間、ほぼ毎日テレビを見ていた僕が、ある日、日本に帰ってきて当たり前のように気がついたのが彼我の間のコマーシャル映像の違いに関してだった。何かというとニューヨークで見るコマーシャルには街がよく映る。大都会の風景だったり、郊外…

山本弘に会った

先月に続き孤高の画家・山本弘の展覧会を東京八重洲のギャラリー汲美で見た。山本弘は長野県飯田市出身の画家で、一般にはほとんど知られていない。だが、針生一郎、瀬木慎一といった一流の美術評論家から絶賛されるなど、玄人筋から一目置かれている存在だ…

白のマジック

故山本弘画伯の作品を六本木のギャラリーMoMoで拝見する。小品を中心に11点の小さな個展。 やはり、写真では本物の魅力はなかなか伝わらないものだとあらためて感じた。この日展示されていた作品の白眉は、こちらで紹介されていた30号の『種蓄場』だった。■…

題名

写真をgooのブログを使ってアップし始めてから早2ヶ月が過ぎた。残念ながら「はてな」の写真に対する思い入れはほとんどないに等しく、分類はできないし、ユーザーのニーズを気にしている風ではないのが明らかで、2,3の商用ブログを比べてgooを使うことにし…

mmpoloさんの銀座

mmpoloさん(id:mmpolo)と銀座を歩くのは無茶面白かったぞ。 すでに三上さんがお書きになっているとおり、先週、半日休みを取って、mmpoloさんと三上さんの銀座の画廊巡りにくっついて歩いた。■銀座巡礼(『三上のブログ』2007年2月13日) 三上さんは初めてだ…

「球体写真二元論: 細江英公の世界」

僕はアートとしての写真の知識はほとんど持ち合わせていない写真のド素人である。だから、細江英公という人が国際的にはもっとも名の知られた日本の写真家なのだと聞いて、へえ、そうなんだと思った。三島由紀夫をモデルにした写真集『薔薇刑』は三島の話を…

ポロックのカワセミ

先週、初めて本物のカワセミを見た。水際の葦、ススキの枯れ枝の中にエメラルドとオレンジの、日本の自然にはまるで不似合いな派手な姿が鎮座している。初めて見ると、それはそこにあるのが信じられないような、別の次元から現れた物体ではないかと思えてし…

写真が伝えるイメージの直接性

大江健三郎さんの『ピンチランナー調書』はよい作品なのに、残念なことに学生運動のセクト対立を素材に取り込んだ故に後世の読者にとって難解な作品になってしまっている。左翼的思想の是非は脇に置いておくとして、それがあの時代にどういうものであったの…