山本弘に会った

先月に続き孤高の画家・山本弘の展覧会を東京八重洲のギャラリー汲美で見た。山本弘は長野県飯田市出身の画家で、一般にはほとんど知られていない。だが、針生一郎瀬木慎一といった一流の美術評論家から絶賛されるなど、玄人筋から一目置かれている存在だ。

■山本弘(Wikipedia)


1981年に51歳で自らの命を絶ったが、山本に師事したmmpoloさん(id:mmpolo)がその業績を世間に知ってもらおうと率先して世の中に働きかけていらっしゃる。この日見たのも先日同様、数号の小品を中心とした展覧会。地下にあるギャラリーを狭い階段を下りていくと、画廊主とおぼしき方とお話をしているmmpoloさんの姿が目にとまる。作品を一覧した後に、狭い画廊の真ん中に置かれたテーブルを囲んで雑談はごく自然に山本作品と画伯の話になった。


山本さんは武蔵野美術大学の前身である帝国美術学校を中退後、小都市飯田で一生を過ごした人。絵のことしか頭にない根っからの芸術家肌の人物で、しかしアル中で口が悪く、外出しては地元の画家たちの作品を罵っていたという。自分は天才だと恐ろしいばかりの自信を放散させていたが、生前世間に認められることはなく、貧困のうちに生涯を閉じたという。mmpoloさんの話を聞くと、当時の飯田市の画壇は分かりやすい絵を描く人たちばかりで、山本は絵描き仲間からも異端視、白眼視されていたらしい。口が悪いのも大いに災いした。死後、東京で開催した遺作展で有名評論家たちから高い評価を得たことを考えると、生前東京で紹介される機会があれば彼はもっと生きられたかもしれないとmmpoloさんは言う。

「でも、ほんとうに貧乏でしたからね、東京に出るなんてありえなかったんですよ」

とmmpoloさん。その背後に並ぶ山本作品がスポットライトに光りながらこちらを見ている。合理的な説明をするのが難しいのだが、そのイメージが急に何かを語り出す気配がした。頭のどこかが痺れるような、懐かしさと暖かさと、神々しさが入り交じったような気持ちが、ほんの一瞬、お話をするmmpoloさんの頭上を越して僕のなかに降りてきた。それは明らかに我々二人を囲む絵から放出されている何かの気配がなせる業だった。


その瞬間にmmpoloさんがおっしゃった。

「こうして死後も自分の作品を多くの人に見てもらえるなんて、山本は考えていなかったんじゃないでしょうか。いや、それとも考えていたのかな」

一瞬遠くを見る眼差しになって、難しい問題を解きそこねたように「分かりませんね」とぽつりとおっしゃった。

確かなことは山本弘の名前など数ヶ月前まで聞いたことがなかった僕が、この場所で山本作品を目にしていたということだ。自らの理想に殉じた山本さんの残したものを、見ず知らずの中年男が見て、その何点かに天才の痕跡を見て震撼したということだ。山本弘さんはもうこの世にいないが、「つながっている」と思った。


小さな展覧会ですが、絵がお好きな方はちょっとお寄りになってみてはいかがでしょうか。14日(土)までです。


■ギャラリー汲美での山本弘展始まる(『mmpoloの日記』2007年4月3日)

■山本弘の作品解説「種畜場」(『mmpoloの日記』2007年3月9日)

■山本弘作品解説(2)「塀」(『mmpoloの日記』2007年4月6日)