2012-01-01から1年間の記事一覧

再会

年末の寒風をくぐり抜けた先にある新宿の英国風居酒屋にて一句読める。わいわいで思いがけない人に会い 知る人はみんな知ってるオーイタ人とジョーモン人です。写真には写っていないけど、外国から戻ってきた木下さんとも話が出来たし、昨晩の忘年わいわいは…

クラウディオ・マグリス著『ドナウ ある川の伝記』

欧州の大河、ドナウ川の流域にはさまざまな国、さまざまな文化、さまざまな人々が生きてきた。総延長3千キロという果てしない距離と、古代から現代に至る時の流れの、さらなる果てしなさを視野に入れると、果たしてどのような物語がそこに出来するのか。イタ…

スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第6番

スダーンと東京交響楽団によるブルックナーを聴くのは2度めのことだが、前回同様、申し分のない演奏で、心から楽しんだ(12月2日、サントリーホール)。第1楽章のテンポ設定、3楽章と4楽章のバランスなど、指揮者の解釈がモノを言う曲であり、ブルックナーの…

デ・ワールト指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第8番

エド・デ・ワールトがNHK交響楽団を指揮したブルックナー交響曲第8番をNHKホールで聴いた(11月16日)。2週間前にブロムシュテットの指揮で心が高揚する第4番を聴いた余韻が残っており、その余韻がこの日もそれなりによい演奏が聴けるのではないかという何の…

ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団のブルックナー交響曲第4番

自分の古いエントリーを探してみたら、ヘルベルト・ブロムシュテットのブルックナー4番をN響で聴きに行ったのは「ブロムシュテットも80歳、もうこれを逃すと、あの人のブルックナーも聴くことができなくなるかもしれない」と思い立ったからだと書いてある。2…

マゼール指揮NHK交響楽団の『ニーベルングの指環』抜粋版

先日、マゼールの振るNHK交響楽団で、『ニーベルングの指環』のオーケストラ版を聴いた(10月19日・NHKホール)。今回の『指輪』は、マゼールが指輪4部作のオーケストラパートを4部作の順番を守りながらツギハギして聴かせるというもの。このツギハギ編曲は…

誰かの言葉としてピアノの音を聴く

一雨ごとに秋が色づいていく。昨晩はラーンキのピアノを聴きに行く予定だったのだが、所要でかなわずチケットを家人に譲った。帰宅しその感想を聞くと、それはそれは素晴らしかったらしい。そのようにして、聴かずに終わったコンサートの記憶が、自分以外の…

共存する

人の心は容易に千々に乱れ、安定を知らない。Aに執心すると思えばBに心動かされ、Cに何かを見出したかと思えばDが道であるかのように感じられる。複数の人格とまでは言わないとしても、一人の人の心のなかにいくつもの嗜好や主義が混じっているのは実は至極…

だまし絵みたいな話

たった数日の滞在でインドは広い国だなと感じ入ったのは、言葉だな。言葉です。現地で教わったところでは22の言語が国の言葉として規定されているということらしく、大まかに言っても州によって言葉が違うらしい。らしいとしか言いようがないのは、そう聞い…

退屈だ

「やってられないぐらい退屈だ」と思ったりもする。 だんだんと歳を取りつつある。欲望が抜けつつある。と思うそばから「やってられないぐらい退屈だ」と感じる瞬間がまだある。先日、皆さんよくご存知のコンサルタント氏にお誘い頂き、二人で晩御飯を食べた…

なかなかブログも書きにくい

同感。実感■アイデアを出し続けるためには(『勢川びきのX記』2012年9月23日) ブログもしばらく書かないと、書けなくなるものだなと思います。昨年の地震以来、どうもブログが書けない。書きづらい。ということも感じ続けています。

旅の空

ブログの仲間の木下さんがネットを活用して仕事をしながら奥さんと一緒に世界旅行をしている様子が、ほぼリアルタイムで報告されています。若い頃じゃなきゃとてもできない長丁場、ロング・ジャーニーです。フィリピンに始まってタイ、スリランカ、ドバイを…

インドでわしも考えた

昨年の10月にインドに行きました。生まれて初めてのインド。生まれて初めての日本以外のアジアでした。百聞は一見に如かずと言いますか、聞きしに勝ると申し上げますか、経済が元気な国の人々の活気にはいわく言いがたい迫力を感じました。初めて見る国土の…

雲平線

昨日は自分には珍しい九州出張。日帰りで熊本に行ってきた。羽田空港を飛び立ち、空の上から自分の住まいを目視したり、濃い箱根の緑のなか茶色い引っかき傷のように生々しい大涌谷を見下ろしたり、山襞が複雑に入り組む南アルプスを眼下にするあたりまでは…

ママ

工藤美代子著『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』で紹介されているエピソードの中に、レストランに出没する子供のお化けの話がある。ある日、開店から4年が経ったレストランのオーナーである友人の女性からどこか思いつめたような、それでいて…

お化けの真実

夏といえば付き物は海と山とスイカと花火と、そして怪談。 いつものように勤めのあとに立ち寄った書店で、文庫本コーナーで平台に置かれていた工藤美代子著『なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか』を見つけ、パラパラとめくるうちに買って読んでみ…

雨の渋谷のシュンポシオン

昨晩は勢川びきさんのアレンジで、若い仲間たち数人と梅田望夫さんを囲んでの歓談の会が催された。僕が梅田さんにお会いするのは、たぶん4年ぶりぐらい。その際には短い時間ながら色々とお話を伺った覚えがあるが、今回は勢川さんの補佐役としてワインの注文…

私の「吉田秀和」

吉田秀和さんが亡くなった。クラシック音楽の関係者やファンが読む、世間的には知る人ぞ知る存在だと思っていたら、「ひびの入った骨董」発言や、文化勲章受章やらがあり、吉田さんはいつの間にか音楽好きばかりではなく、広く知られる、多くの人々に敬愛さ…

@徒企画

勢川さんと二人で盛り上がっているナウ。

シュンポシオンは終わらない

「シュンポシオン、まだやってるんですか?」 昨年の、初冬と呼ぶのが適切な時期だったと覚えているが、ある方から不意打ちのように尋ねられて、たしか「はい、いちおう」などと金釘流の答えをし、内心どぎまぎするような感触を覚えた。どぎまぎしたのは、尋…

シューベルトの新しさ

ンタタターの『運命』がアフタービートの革新性で西洋音楽のリズムの世界を広げたのだとしたら、その前後の音楽ってどんなだったんだろう。ふとそう考え、同時にドイツ語がどう歌われていたかを思い起こそうとしてみた。ポンっと啓示のようにシューベルトの…

西洋音楽はアフタービートか

森本恭正著『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(光文社新書)を読んだ。著者の森本恭正さんは芸大の後にウィーン国立音大で学び、彼の地で作曲家としてのキャリアを築いた音楽家。その著者が、これまでのご自身の体験に基づいて、日本人と西洋音楽の距離…

協奏感のない協奏曲

tsuyokさんのオケをまた聴かせていただいた。今回は、下川さんや、勢川さんや、Ronronさんといったブログの仲間が集まり、終演後の午後4時半からは中村さんも加わって盛大な酔っ払い大会へと移行したので楽しさ満開だった。これで音楽もよければ言うことな…

1年の修行

かれこれ1年以上になる。昨年の春先、ある成り行きから翻訳の手伝いをすることになり、いったん昨年5月に手伝いが終わったと思ったら、結局夏から秋にかけて、さらには年末の時期に、最後は3月からと、ある作品の周囲をめぐるようにして1年少々の時間を…

道を拓く人たち

昨晩、なかむらこういちろうさんと歓談しました。何度も会っているのに二人だけで酒を呑むのは初めてでした。そのことにも少し驚きましたが、ブログの仲間は、シュンポシオン横浜のときのように、結構複数人で会う機会が多いので、差し向かいで飲む機会は必…

徒企画

昨晩は2ヶ月ぶりに『徒企画』に足を運んだ。いつものように快活な若者たちがビールやワインをはさんでカウンターの向こうの店長と対峙し、話の花があちこちに咲き誇る。山崎さんのレシピにしたがって作られたホットワインの、異国情緒が香る温かさと、やはり…

港北区民交響楽団第49回定期演奏会

高校の友人かわいくんがトランペットを吹く港北区民交響楽団の定期演奏会に今年も行ってきた。「今年も」と書いたが、昨年は開催日を見事に一週間間違えてしまい、せっかくのお誘いを不意にしてしまったので、2年ぶりの定演ということになる。今年はリストの…

大理石の海

締め切りに追われる夢をみた翌日の未明、目覚ましに起こされた際に浸っていた夢は、その明け方間近の時刻に同期したかのような平明さを湛えていた。そこはさして大きくもない湾が弓型に広がる海沿いの土地である。私はその海辺を歩いている。山がちの土地に…

悪い夢

出来ないことをやらなければいけない立場に立たされる夢を時々見る。例えば、大ホールで開かれるコンサートに協奏曲のソリストで呼ばれ、演奏しなければならないという状況に巻き込まれるのである。自分がそんな場所で満足に弾ける曲など一曲たりともないの…

佐渡裕さんがベルリン・フィルデビューで履いた下駄

昨年5月、佐渡裕さんがベルリン・フィルハーモニーの定期公演にデビューした模様をNHKがドキュメンタリー番組に仕立てて放送した。最初に放送されたのは6月。それとは別に演奏会それ自体の放送もあり、僕はたまたまそのどちらも観ることができた。そのドキュ…