協奏感のない協奏曲

tsuyokさんのオケをまた聴かせていただいた。今回は、下川さんや、勢川さんや、Ronronさんといったブログの仲間が集まり、終演後の午後4時半からは中村さんも加わって盛大な酔っ払い大会へと移行したので楽しさ満開だった。これで音楽もよければ言うことなしだったのだけれど、世の中思い通りにはいかない。

tsuyokさんのオケはアマチュアながら、いつも充実の演奏を聴かせてくれる団体だが、今回は正直なところ納得させられるところまではいかなかった。シベリウスが2曲と、後半が『悲愴』というプログラム。達者な奏者がたくさんいるので、要所できれいなソロが聴けたのはよかったけれど、アンサンブルが崩れる箇所もあったし、どの曲も分かりにくいところが分かりにくいまま。総じて音楽の構造や方向性が見えないままに聴こえたのは、指揮者のドライブ力の問題でしょうね。オケは指揮者だなぁとあらためて思いました。昨年同じオケが『運命』をやったときの指揮者なんか、ヴィジョンがくっきりと立っていて素晴らしかったから。

それに輪をかけて、という言い方はアマオケの演奏会に対する感想としては酷だが、シベリウスのバイオリン協奏曲を弾いた演奏家はとうていソリストの水準に達しているとは思えず、思わず第一楽章の途中に暗い客席でプログラムを引っ張り出し経歴を確かめてしまったぐらい。すると、去年十数年ぶりにサントリーホールで聴いて「このオケは向こう10年は聴かない」と心に決めた東京のオケの団員さんではないか。私が聴いたそのオケはバイオリンのパートがことのほかひどく、弦が弾くたびに音楽のエキスがこぼれてなくなってしまうような気分にさせられたのだったが、こういう人が中で弾いているのかと納得させられるような演奏である。最初のメロディが流れた瞬間に、線の細いバイオリンだなと思ったが、問題はそういうことではなく、ソリストが曲を引っ張れない。オーケストラと対峙できない協奏曲のソロは悲しい。通常なら、そこで曲のメリハリを効かせるはずの旋律が、あろうことか微妙に歌わず、ライオンの食事を遠まわしに眺めるスプリングバックのようにおとなしく、こちらもシベリウスの繊細さを表現しようとして遠慮気味のオケにすら紛れてしまう。そうなると、ただでさえ繊細なこの曲の目鼻立ちが客席にはまるで伝わってこず、いったいなにが伝わるべきなのかが謎のままに浮遊し、聴衆は困惑の時間に置き去りにされてしまうしかない。

このソリストはアンコールにバッハの無伴奏のパルティータ第3番、誰もが知っているガボットの愛らしいメロディを弾いたのだが、四分音符と八分音で作られた最初の2小節を聴くと、どうやらこの人のリズム感というか、アーティキュレーションというか、歌の感じ方が変だということが分かる。変と言って差支えがあるとすれば、ちょっと人と違っていて、それを私の感性が許容できないというべきか。技術は鍛えれば向上が期待できるが、生来の感覚はそういう訳にはいかない。

もっとも、本人にどこまで自覚があるかは別問題である。感覚的で客観的な計測が不可能な音楽は、よほど周囲の批評に恵まれていないかぎり、良し悪しを自覚するのが難しい。「今日のダルビッシュはスライダーの切れが素晴らしい」とテレビの解説者が言うときのピッチャーの、自身の投球に対する自信は、解説者にも、対するバッターにも、テレビを通じて観戦する我々視聴者にも、目で見ているだけで間違いなく伝わってくるが、音楽の場合、その認識を作るのは言葉でしかない。批評は大事だ。演奏後の聴衆の拍手がそうしたものとして機能するのが理想的な音楽環境だろうが、日本の聴衆はやたらと優しく、今回のソリストさんも満場の喝采をもらうことになる。でも、あれは、むしろ本人に対して酷なのではないのだろうか。

私はもちろん拍手はしなかったし、ちらとブーを叫ぼうかと考えたぐらいだが、その途端に「アマオケのコンサートでそれははしたない」という思いが勝ってしまったので黙って椅子に座っていた。でも、オケの人たちまでもがお義理の拍手をするのはいただけない。指揮者やソリストに団員が拍手をするのが慣習になったのはいつ頃からか。以前は、本当によいと感じられるコンサートにのみそういう意思表示があって、聴衆もそれに感じ入ったのに、最近は演奏後のソリストに起立させることを含めて、ただでさえ儀礼的でいやったらしいと思われがちなクラシックのコンサートがますます儀礼的になってしまっている。私のような性根の曲がった奴は「ここの団員の人たちは、この程度の指揮者やソリストに拍手をするほど音楽性がないのか、それとも礼儀を過重に重んじる嫌味な奴らなのか、それとも単なるお人好し集団なのか」などと、無用の疑問を持ちだしたりしかねないので、あれはどこのオケもやめたほうがいい。

tsuyokさんには演奏会にお誘いを頂いたお礼をメールしつつ、「前向きな感想がかけそうにないので、」今回はブログに感想を書くのは遠慮する旨をお伝えしたのだが、そうお伝えした後で気が変わった。昨年は「つまらなかった」というだけの文章を読んで楽しい読者がいるとは思えないと考え、ブログで紹介するのを止めにしたプロのコンサートがいくつかあったのだが、要はどういう風につまらなかったのか、なぜつまらなかったのかを書く自信がありませんということだけだったのかもしれないと考えなおしてみると、これも勉強の機会ということにならないか。今日はそんな風に考えてみた。