小澤さんが亡くなった

小澤征爾さんがあちら側に旅立たれた。
戦後日本のインテリ、大衆に及ぼした息の長い影響力という点で、小澤征爾に比肩する個人は数えるほどしかいないんじゃないかと、おそらく影響を受けた砂の真砂の一粒である自分などは思ってしまうのだが、もう時代はそんな感慨を抱く人間も過去の淵に流し込むところまで来ている。人の一生は長くてせいぜい百年。終わりは誰にとっても思いの外近くにある。

マスコミが小澤さんに奉った形容句に“世界の小澤”というのがあり、これはおそらく戦後日本に現れた“世界の”族の嚆矢ではなかったか。世界のアオキ、世界の王、世界のサカモト、世界のナントカ。小澤さんが日本の音楽界、ひいては大衆の寵児となる契機となった『ボクの音楽武者修行』の旅が1959年。私の生まれた年だ。私より上の、存命の世代で小澤さんについて知らない日本人はおそらくいないだろう。というものの言い方自体に誇張が含まれているとすると、小澤さんはそうした誇張の世界を現実のものとして生きてきた稀有の人ということになる。

でも、誇張が生きる時間と空間は実はそれほど大きくはない。もう、私らの後ろの世代で、小澤征爾の巨大な影響力を実感できる人々、想像できる人たちには限りがあるはずだし、その数は世代とともにどんどん薄まっているに違いない。クラシック音楽自体が、高級大衆文化としての魅力と産業としての強さを失いつつあるいま、平均的な若者に向かって「小澤征爾という人がいて、その当時には“世界のオザワ”と言われていたんだよ」と語ったとしても、「その世界のナントカってなに?」と首を傾げられるのが落ちではないか。“世界のナントカ”のような面白恥ずかしい形容句が日本語世界から消えていくのは大変気分がせいせいする変化ではあるが、天井桟敷からは別の声が「だからどうした!?」と返してくるかもしれない。なにも変わっちゃいないことに気がついて坂の途中で立ち止まるということになるんだろう。立ち止まる坂は変わらずとも、立ち止まる主体は例外なく影のようなものだ。威張っているあなたたちもせいぜい影にすぎないのよ。違うかね。違わないだろう。