多和田葉子と細川俊夫のオペラ『ナターシャ』初演
細川俊夫の新作オペラ『ナターシャ』が舞台に乗ることを知ったのは初演の前日である。ネットで作品を紹介する記事を読んで、多和田葉子が台本を書いたと知って「ほー」と思ったのだった。私は多和田さんが『犬婿入り』で芥川賞を取った時からの読者である。といっても、多作の多和田さんの作品の何分の一かを知っているぐらいの読者に過ぎないが、それでも、この人が芥川賞がかつての輝きと権威を持っていた時代の最後を飾る受賞者だと勝手に信じている者ではあるから、「多和田さんの言葉が歌われるオペラならば、ぜひ観たい」と思ったのだった。作曲家がだれで、初演者がだれかは別にしても。
ほとんど条件反射のように新国立劇場のサイトに飛んで、3日間の公演のうち、2日目なら行けそうなこと、チケットも少しは残っていることを確認し、すぐ購入と相成った。以下は、新国立劇場に行くのは生まれて初めて、日本でほんもののオペラの舞台を観るのも初めてというほとんど門外漢の感想である。
で、どうだったか。
なにもない造作物に代わって映像を駆使した舞台はとても美しく、主役の歌手二人は健闘していた。ピットに入った大野和士さん指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は素敵だった。細川俊夫さんの音楽は、様々なテクスチャーや色合いが絡み合う織物が陽の光の微妙な具合にゆらめくようで充実した重たさの音の世界を形作っていた。オペラであるから、歌手に寄り添いながら音楽は劇や筋書を説明しなければならず、そうした役割を場面に応じて積極的に担いつつ、説明的になりすぎないのが素晴らしい。
というわけで、オペラについてはほとんど門外漢である者なりに楽しんだ舞台ではあったが、楽しんだという言葉を超えて、忘れがたい衝撃のようなものを感じたのかと言えば、正直そこまではいかなかった。これは作品の良し悪しというよりも、聴衆の「私」の力不足が理由である部分が大きい。膨大なオペラのスコアは多様な要素が散りばめられており、初めて聴く新作から一見の客が汲み取れる部分は限られている。その中に意識が分け入って感動するというほどの音楽的素養はこちら側に残念ながら備わっていない。これは言っても仕方ないことかもしれないけれど。
しかし、さらにより率直に問題を感じたのは、台本に関してである。私は多和田さんの小説作品を愛好する者の一人だが、多和田作品の魅力は、私の思うところでは、詩的な饒舌さとその饒舌がもたらす沈黙の感覚である。そう考える者にとって、まとまった読書に比べると短いオペラの尺、限られた量のテキストで物語の筋書を先導しつつ文学的な営為として最大の効果をあげようとする努力の結果が作者の望むようにこちらに届いたかというと、必ずしもそうではなかった。そこが私のもっとも感じたことだった。オペラの台本は劇の進行を語りで示しつつも、そこに音として表れるのは多和田風の非説明的な詩的な表現であるから、前もって来場者に渡された「あらすじ」のチラシの知識に依拠せずに舞台で起こっていることを理解できない感があったし、それ以上に多和田の、作家として練りに練ったであろう言葉が音楽に邪魔されて(?)聴こえないという感覚が正直なところあった。読書のように、立ち止まってゆっくりと味わいたいと思っても、オペラの時間に乗った台詞はそうした個人の思いなどお構いなしに流れていく。この台本で語られている言葉は本当にオペラの台本となりたがっていたのだろうか。無理矢理に歌詞となって居心地の悪い想いをしていないだろうか。それらの疑問は大きな間違いで、単に歳を取って如実に落ちているこちらの認知力が問題である可能性は大きいのだが、ともかくそう感じたのは事実なのだ。
だから、もし本当に作品を味わいたいのであれば、2度目、3度目の視聴、録音・録画による追体験が欲しい。音楽とともに歌詞を理解し、しっかりと味わうためには。機会かあれば、そうするべきだし、ぜひそうしたいという今の気持ちを備忘録としてここに記しておくことにしたい。結果として、これはそうした短文になった。
映画『うしろから撮るな 俳優織本順吉の人生』
友人の瀬川さんのお勧めで見に行ったドキュメンタリー映画『うしろから撮るな 俳優織本順吉の人生』に心底揺さぶられた。名脇役として様々な映画、テレビドラマに出演した俳優の織本順吉さんの88歳から亡くなる92歳までの4年間を、娘さんである放送作家の中村結美さんが撮った作品である。手持ちのカメラで四季の折々に撮った織本さんの日常の断片を編集したものだが、プライベートな空間と時間の中で、織本さんの、身内以外の他人に対しては構えて決して見せないであろう生身の感情が映し出されている。感情の向かう先は織本さんに寄り添う奥さんと映像を撮る娘さんであり、だから、これは娘さんでなければ決して撮れない作品なのである。その生々しさは、これぞドキュメンタリーと呼ぶべき真実の瞬間の連続となっている。
とは言え、映し出されるのは、いくつかの撮影の現場での織本さんの様子と、プライベートな空間での一人の年寄りとしての繰り言だけだ。それだけの内容なのに、上映が始まったとたんに観客はスクリーンから目を離せなくなる。それ以上に織本さんの声を聞き逃せなくなる。
スクリーンの中の織本さんは、紹介されるエピソードごとにずっと癇癪を起し続ける。糖尿病の簡易検査のやり方が適切ではないことを指摘されただけで大声を上げ、机を叩き出す。自動車の免許返納を促されるとわめき散らす。身辺の小さな事々に対し意見やアドバイスをされると、そのこと自体が織本さんを苛立たせ、憤怒と涙の瞬間がやってくる。
そうこうするうちに、若い頃はセリフを覚える能力の高さで衆目を唸らせる存在だったという織本さんは短いセリフも間違えるようになり、老人に仕事はなくなってしまう。
そんな晩年の様子が細切れに紹介されるだけの映画がなぜ強いメッセージを放つのか。それは織本さんの姿が「わたし」に重なるからだ。「わたし」はまだ65歳で、人口統計上の高齢者の仲間入りをしたばかりだが、それでも様々な点で急速な衰えを感じ始めている。体が動かない、物忘れが始まる、思考が先に進まないといういかにも年寄りらしい状況が自分の身に進行し始めているのを「わたし」自身が気付き、内心静かに驚愕する。自分の家族には「最近とみに“頑固爺”になってきている」と事あるごとに笑われる。そうした日常が始まっている。おそらく、この先にたどり着くのは、今できているあらゆることが普通にできない毎日なのであり、悲嘆を繰り返す織本さんの日常なのだと思う。だから、映画がはじまってすぐ、これは「わたし」の映画だと直感が働いたのだ。物心ついて以降、自分を支えてきた自我、エゴ、プライドは年齢を経て変わらず存在するが、肉体や認知能力の衰えは「わたし」はこうである者であるという自我の認識をどんどん裏切って進行する。それに気が付く毎日には、常に悲しみが付きまとう。もう少しでも若かったら、この作品が「わたし」の映画だと感じる切実感を覚えることはおそらくなかった。そんな微妙な時期に偶然がこの作品を送ってくれた。
一方、「わたし」とはかなり異なると思われるのは、90歳にして現役の俳優であり、俳優としての大きなプライドと社会的地位を得ていた織本さんならではの自分に対する期待の大きさである。期待は大きければ大きいほど、年齢を重ねる先にある現実は期待を裏切り続ける。それが次の瞬間に自我を傷つける。傍から見ている分には「功成り遂げた身分なのだから90歳にしてがんばらなくてもいいじゃないですか。もっとゆっくりすれば?」と言いたくなるが、織本さんはそうした甘言は決して寄せ付けそうにない。その鬼気迫る仕事への気迫が、老齢の滑稽と同時に自我のやっかいさと美しさを際立たせる。「わたし」も取り込む普遍的な要素と主人公・織本順吉ならではの強烈な個性の同居が映画のアンビバレントな魅力となっている。
見終わった今、鮮明なイメージとともに脳裏によみがえってくるのは、映画の冒頭で紹介されるロケの場面だ。腰の曲がったフツーのおじいさんとしてスクリーンに登場した織本さんが、住職に扮しお寺を借りての撮影の場面になると、これぞベテラン俳優と言いたくなる味のある演技を見せる。その一瞬が、その後の展開と大きいコントラストを描き、悲嘆の気分の基調をつくっている。
こんな映画を見てしまうと、昨年見たヴィム・ヴェンダースの『Perfect Days』なんて屁のようなものだと思ってしまった。
HASHIさんが亡くなった
ニューヨークで活躍してきた写真家のHASHIこと橋村奉臣さんが亡くなったと曾根原さんから連絡を頂いた。Webに掲載された記事を知る。
https://www.nyseikatsu.com/ny-news/11/2024/42400/
HASHIさんにはこのブログが縁で一時期とても親しくお付き合いを頂いた。日本に来るたびに連絡を頂き、お会いし、HASHIさんの自伝的文章のゴーストライターをする企画まで温め、試案をつくったこともある。ゼロ年代の終わりから数年の話だ。自分が病気になって、HASHIさんからメールに当方の気持ちがついていけず、こちらから返信ができないままに関係は途絶えていたが、つい10年も経っていない過去であるのに、曽根原さん、三上さん、美咲薫さんら自分にとっての初期のブログの大切な人間関係とともに懐かしく思い出す存在だった。だから、他人の暴力に巻き込まれて命を落とされたという報には、ただただ心が萎える思いがするのみ。ここに名前を挙げた皆さんと、東京都写真美術館の展覧会の後に初めてお会いし、恵比寿のレストランでビールを交わした日が思い起こされる。
ニューヨークの路上で一方的な暴力を受けたアジア人が亡くなる。その事実がアメリカの政治状況を如実に反映しているとすれば、我々の住む世界のネガティブな進み行きを形にして示されたようで、そのことにも心ふさがる思いがする。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://topmuseum.jp/upload/3/534/2006_015_b.pdf
『帰ってきた橋本治展』
この週末までやっている『帰ってきた橋本治展』に行ってきました。場所は横浜の神奈川近代文学館。福田恭子さんのFacebookで開催を知り、辛うじて間に合いました。文士の個展なんて地味なのが相場ですが、さすが橋本治、亡くなってなお展覧会場を饒舌さで包み、イラストあり、例の手編みセーターありで、キラキラ空間を演出。やるなあ、すごいなあとしか言いようがありません。
私は橋本治の読者としては、やっと末端に連なるかどうかというぐらいの者でしかありませんでした。しかし、高校の同級生が「橋本治の『桃尻娘』はすごい!」と50年前に連呼していたのをついこの前のことのように思い出しもします。小説家としてのデビュー当時から、ファンをつかまえて離さない凄みがこの人にはあり、見える人には最初から見えていたということなのでしょう。
午後になってもぼんやりと春霞に煙る平日の横浜山の手エリアは、観光客が三々五々といった程度の賑わいでしたが、小さな展覧会場には思いがけない人の出があり、またそこには独特な緊張感を秘めた空気があって、入った瞬間に軽くたじろがされるのには十分でした。展覧会って、どんな種類であっても、だいたいざわめきが漂う場所だと思うのですが、『帰ってきた橋本治展』に来た方々は判を押したように展示物にしっかりと見入り、独特の明るい静けさに支配されていました。この独特さが橋本治のものなのだろうなと感じたことでした。足を運んできたのは、おそらく皆さん筋金入りの橋本治の読者、それに準じた者どもなのだと思うのですが、だから展示物を通じて明らかに橋本治と交信をしている。そうとしか言いようのない集中力が展示会場を満たしているのでした。ただ、橋本治の読者ですから、それ相応の年齢の人ばっかりで、集中力が張り詰めたものに昇華せずにたおやかさに流れていく。それも、いかにも橋本治的だったかもしれません。
橋本治って何者だったんですかね。人間それぞれに独自のキャラクターを持っているわけですが、私のような凡人はそれを突き詰めて何かを産もうとしても、その手前ですべての集中力が途切れる。だから、橋本治のような人間には決してならない。普通はならないですね。普通の人が、ふと何かを思い、そよ風とともにその思いが忘却の彼方に消え去ったその瞬間から橋本治の仕事は始まるようです。凡人には理解できない凄みがあります。それとやさしさと。そこが橋本治だとは言ってよいでしょう。

今年もそこに桜が
名所と讃えられる桜の咲きっぷりは、およそ例外なく見事なものだが、見慣れた街並みが、「えっ、そこにあったの?」と思われるような小さな一本の桜で佇まいを一変させる驚きに勝るかと言えば、さてどうだろう。そんな桜の魔術はわが町ではそろそろ終わりを迎える。
『君たちはどう生きるか』、『ゴジラ-1.0』、『PERFECT DAYS』
この1年で映画を3本見た。『君たちはどう生きるか』、『ゴジラ-1.0』、『PERFECT DAYS』の3本。どれも、たまたま今年のアカデミー賞で候補になった日本映画の今年を代表する作品だ。それぞれに見応えがあったが、どれもしっくりとはこなかった。
『君たちはどう生きるか』は、シネマチックな手書きアニメーションの美しさはさすがの宮崎駿作品で、劇場で見るとその良さには感服するものがある。しかし、この作品のメッセージは難しくて、よく分からない。物語のスタイルとしては、ダンテの『神曲』の地獄めぐりやモーツァルトの『魔笛』の主人公がくぐる試練を連想する。もっと最近の作品であれば、村上春樹の『騎士団長殺し』などもそうした枠組みを備えており、珍しいものではないと思うが、監督が訴えたいものが何なのか、私にはよく見えなかった。死んだ母親へのノスタルジーは普遍的なテーマとして理解できるが、それを語るために戦中戦後の時代背景を持ち込み、さらには異界への旅を組み込んで、主人公に体験させる様々な出来事に、しかし『不思議の国のアリス』のような、この作品ならではのインパクトはなかった。場面の絵はとてもきれいだけれども、この地獄めぐりが最後に行き着く前に私は半ば退屈してしまった。
宮崎駿は当然、すごく語りたいことがあって、この映画を作ったのだろうが、もう少し説明的になってくれないと、あるいは分かりやすいヒントをもらえないと、その語りたいことが私にはよく分からない。鑑賞者が鈍いだけなのか。そうかもしれないが、映画ってもっと説明的であるべき表現形式ではないだろうか。言い方を変えれば、有名監督の作ったものはありがたく拝受し、分からないのはお前に足りない部分があるのだから、一所懸命に必要な理屈は補い、理解し感動すべきであると言われているようで、なんだか腑に落ちない。
物心がつく頃に『ウルトラQ』や『ウルトラマン』に親しんだ世代なので、『ゴジラ-1.0』はとても楽しみに映画館に出かけた。音響、映像には心底満足した。映画ではゴジラが東京に足を運んだのが1度だけで、それではあまりにあっけない、もっと暴れてほしいとは思ったが、伊福部昭の音楽が大害獣銀座襲来と同時に鳴り響くシーンに血圧マックス、全身総毛立ち状態になり、ここだけでも、この映画に満点をあげていい気分になった。で、2度も見てしまった。
ただ、この脚本には、満点どころかその半分がせいぜいかなあというのが、いつわらざる実感で、この映画を評価できない理由をなしている。
どこが悪いのか。物足りないか。それは、時代設定を先の大戦の末期から戦後すぐにした理由がご都合主義だからだ。初代『ゴジラ』は怪獣映画というジャンルを生み出した記念碑的作品であると同時に反戦映画の傑作である。それが私の頭の中には常にある。だから、今回、戦後すぐに東京を襲うゴジラが初代の反戦キャラであるのは必定であるという余計な思い込みで映画館の椅子に座ったのだが、この映画はそうした政治的、イデオロギー的な側面をきれいに脱色していた。
ある意味で、そこがこの映画のよくできたところで、政治的にニュートラルだから、アメリカに持っていっても反米映画と見られる心配は微塵もない。アメリカの映画批評サイトの「Rotten Tomatoes」で『Godzilla -1.0』に対する一般視聴者のコメントを読むと、脚本がよい、物語に涙したという書き込みが一つや二つではないのである。これには驚いた。そして、「なるほどアメリカの若いビューアーにそんなふうに受け入れられるようにこの作品は作ってあるのだな」と合点がいった。
主人公は神風特攻隊の生き残りであり、復員船や東京大空襲で焼き払われた東京の町並み、闇市が登場することによって、映画には面白さ抜群の場面設定と娯楽性がもたらされる。第二次世界大戦、太平洋戦争は、その戦争自体を思い起こすために呼び出されたのではなく、その後の日本の復興や今日の経済的な不調に続く歴史的な文脈を語るために呼び出されたのではなく、ゴジラが出てくるのにうまく馴染む人間模様を描くのに適していると判断されたが故に、それだけの理由で持ち込まれたのだ。
このようにして戦中・戦後が描かれるようになったことに、心静かに驚かされた。本当にそんなんでいいのか、と私は思った。私自身は戦争を知らない子どもたちの世代だが、私等の親の世代はそうではなかった。理由のわからないままに外国のジャングルに送られ、南シナ海の藻屑となり、本土にあって多くの肉親、知人をなくした人々が我々の周囲にはいた。皆がそうだった。その人達の声が自分の記憶にある世代として、第二次世界大戦を描くことに敬虔さがあってしかるべき、うかつに触ってはいけないと考える世代の端っこに自分はいる。そんな鑑賞者がマジョリティを形成する時代ではなくなったということ、災害の記憶を云々するのは、それが第二次世界大戦規模の国家的苦難であっても、この国では到底百年はもたないのだというのが『ゴジラ-1.0』鑑賞の教訓である。
3作品中最後に見た『PERFECT DAYS』は、ヴィム・ヴェンダースが東京を舞台に役所広司を主演に撮った作品だが、この作品のよさは、ヴェンダース、役所という二つの固有名詞で言い足りるように思う(そんなことを言っては数多の関係者に怒られそうだが)。
ヴェンダースの小津好き、「美しき日本」観、手練れのカメラワーク、役所広司の存在感、それらを楽しめる気持ちの良い作品だった。ただ、こいつを名作と呼ぶのはどうか。役所演じる主人公は、就寝前にフォークナーを読み、外国人の英語には造作なく反応するインテリおじさんだが、映画の中では明示的に説明されない何がしかの理由から東京の公衆トイレの清掃を職業としている。その謹厳実直な仕事への取り組みは、あたかも一般人が禅寺で修業をしているかの如くである。如くではなく、それはほとんど修行であり、そのものと言ってもよい。ドラマチックな筋書きはなく、そうした日常が淡々と、しかし抜群に素敵な映像で紡ぎ出される。
ではタイトルの『PERFECT DAYS』とは何か。永平寺に修行に行っているような生活、心の持ちようが完璧な日々を構成するのならば、我々日本人はそうした価値観を、少なくとも西洋文化の中で生活する人々とは異なる深さで理解し、同時にそれが理想的に過ぎるある種の完璧さであることにも何世紀も以前から気がついている。今さら『PERFECT DAYS』と言われても鼻白む類の話である。そうした話もヴェンダースが撮って、役所広司が主演を張るとすごくきれいな映画になる。
というわけで、たまに映画を見るのは面白い。
小澤征爾の音楽人生と評価
戦後大衆文化の担い手、日本が世界に誇る音楽家、“世界のオザワ”であったところの小澤征爾について思い出の形で語る文章はWebの上でもたくさん読むことができる。「Yahoo!ニュース」なんかでも取り上げられるし、誰に対しても温かく、人を分け隔てしない性格で、音楽を勉強することに対する情熱を持った指揮者、後半生にあっては若い世代を導く教育者としての小澤さんへの万雷のブラヴォーが鳴り響ている感じ。
そうした、小澤さんの人柄を前面に出して個人を称賛する記事はたくさんあるが、指揮者としての業績をフラットに、つまり批判的な面を語ることを恐れずに口にするテキストは、こうした「Yahoo!ニュース」みたいな土俵には登ってこない。小澤征爾という日本人にとっての偉人の物語にしか関心がない一般的な日本人=我々にはそれ以上のものは望まれていないのだから、それでよろし、という訳ではあるが、音楽家としての小澤征爾は毀誉褒貶に塗れていたことは言っておいてよいはずだ。小澤さん=よい人は、それとして。
とくにアメリカにおいては小澤さんの音楽には一定のアンチ派が根強く存在していて、ボストン時代後半の小澤さんは批判を受けるために演奏会をやっているのかねと思いかねないほどの新聞評を容易に読むことができた。僕が知っているのは、90年代のことだ。そういう話も日本人は覚えておいてよい。
批判は妥当だろうと思えるのは、昔からクラシック音楽なるものを聴いている層にとって、小澤さんの解釈が、とくにベートーヴェンやブラームスなどのドイツ音楽において、かの地の伝統を踏まえていないものだったからだ。カラヤンだって、バーンスタインだって、あるいはセルだって、ライトナーだって、常に新しい何かを解釈に盛り込んでいる点が聴衆を引き付けていたのだから、小澤さんにも同じように新しい要素があって、それが評価されるということでよいのではないか、と思われるところ、小澤さんは「彼の解釈は違う」という風に声高に言われてしまう。そういうところが強くあったのが小澤征爾だった。とくにアメリカで、もっと言えば、アメリカの小澤さんのお膝元であったボストンを中心とした音楽コミュニティ、その周辺で彼への風当たりはとても強かった。
小澤さんの訃報がNHKの夜7時のニュースで流れてから、2時間後、PCを開くと、すでにニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストはいずれも長い、また内容的にも情報が豊富な訃報を掲載していた。つまり、予定稿がかなり前から組まれていたということになるだろう。
それらの記事のうち、ワシントン・ポストの記事はまだしも、ニューヨーク・タイムズの記事は、天国に上ったばかりの小澤さんが苦笑せんばかりの内容で、常に批判が存在した小澤の音楽について伝えていたし、ニューヨーク・タイムズに比べて穏当なものの言い方を優先したワシントン・ポストでも、「彼は相変わらず指揮台の上でダンスを続けているが、その姿は彼のオケの音よりはずっとよい」などと批判的な批評家に言われていたと書かれていた。一方で、ベルリンなどでは若い頃から客演に来れば喜ばれていたし、そのように悪い風な書き方はされていなかった。フランスで、僕は20代前半に、パリのオペラ座で彼が指揮する『トスカ』を観たが、周囲のフランス人は「セイジ!」とすごく喜んでいたのが印象的だった。これは80年代前半の話だが、だから、欧州と米国では小澤さんへの受け止め方はかなり違っていたと言えるかもしれない。
「欧州からのホンモノが欲しい!」とコンサートホールに向かい、レコードを聴く米国人のクラシック音楽への欲求を考えれば分からないことではない。小澤さんの音楽は欧州から来たホンモノでは決してありえなかったから。そうした逆風も吹く中で30年以上ボストン交響楽団の音楽監督を続けた小澤さんの実力、胆力、政治力、人間力には恐れ入る。でも、音楽監督を続けることと、音楽をやることとは別のことだ。小澤さんの音楽をどのように評価するかをもう少し聞きたい、読みたいという気がしているので、これから少し情報を集めてみようかと思っていたりする。
あれは1997年だったと思うが(98年だったかもしれない)、小澤さんがカーネギーホールでマーラーの復活をやった際、たまたま小澤さんにつながりのある方との縁で終演後の楽屋に入れてもらえたことがある。小澤さんは、かのセイジ柄の浴衣姿で私たち夫婦を紹介するNさんの声に反応し、笑顔でうやうやしく手を出し握手をしてくれた。楽屋には人が溢れて熱気が渦巻いており、すぐ横にはキーシンがいて、誰かと一所懸命に話をしていた。今思い出しても、その場所のテンションの高さと、その空気の真ん中で汗だくになりながらもくつろぐ小澤さんの柔らかい眼差しは心に残る。有名人のサインをもらったのは後にも先にもこの時だけだ。こういう風に小澤さんとなると、音楽とは違う方向に話が流れていく。それを含めて小澤征爾の音楽だと言えば、まあそうかもしれないけれど、身びいきのない小澤評が日本語で流通することも必要ではないか。