退屈だ

「やってられないぐらい退屈だ」と思ったりもする。
だんだんと歳を取りつつある。欲望が抜けつつある。と思うそばから「やってられないぐらい退屈だ」と感じる瞬間がまだある。

先日、皆さんよくご存知のコンサルタント氏にお誘い頂き、二人で晩御飯を食べたとき、私とほぼ同じ年のコンサルタント氏は、「これから先長いですよ」とおっしゃった。そう言われてみると、たしかにそうかもしれないのだなあと思いつつ、次第にさまざまな欲望が抜けつつある自分自身を天井の上から眺める自分の視線にも気がついた。あの視線は自分の欲望そのものなのだ。

だから「やってられないぐらい退屈だ」と感じる瞬間があっても、何ら不思議ではない。