遠慮する日本のわたし

一昨日、写真家の橋村奉臣さん(HASHIさん)から思いがけない電話をいただき、昨晩夕食をご一緒することができた。12月中旬にお会いしてからまだ一月も経っていない。間髪を入れずの帰国に驚いたが、忙しい合間を縫ってお声をかけていただけるのはうれしい限りだ。ニューヨークを拠点に広告写真の分野で世界的な名声を博するHASHIさんは還暦を過ぎて未だに20代、いやむしろ10代の若者と変わらない、新しい何かに向かうエネルギーを発散させている方。会うたびにこちらも感電する。

あれこれと話をお聞きすると、日本での活動もこれまで以上に力をお入れになる様相なので、僕としてもうれしい限りだ。いろいろと面白い話、考えさせられる話もお聞きしたが、新しい職場に来たての僕にも、程度の差こそあれ、「なるほどなあ、そうだろうなあ」と思わせられたのは、日本で代理店などと話をする際に、米国でいつもするような自分と相手を同時に高めあうような本音の話し合いが成立しにくいという率直な感想だった。

HASHIさんの承諾を頂戴していないので、若干ためらいつつ差し支えのないと思われる範囲で紹介させていただくと、要はHASHIさんのように世界的な一流企業、一流の代理店を相手に何十年のキャリアを積んできた人物に対して、日本のビジネス相手は大いに遠慮をしてしまい、きちんと意見を交換し合う態度に出てくれないのが彼の悩みのようなのである。「先生と呼ばないで欲しいんだけど」とHASHIさんは困った笑顔になっておっしゃるのだが、広告写真の世界では世界の巨匠に祭り上げられてしまい、皆が遠慮してしまうのが大いに不満の様子だ(もっとも、実際のところ、アクション・スティル・ライフと呼ばれる表現で世界的な名声を博しているHASHIさんのキャリアは、日本のメディア的表現では「巨匠」になるしかないのはわかるのだけれど)。そうかと思うと、まったく反対に社会的な関係や状況をきちんとわきまえることができない人間もいて、社会的な節度をわきまえつつ、しっかりとした意見交換ができる人が思いのほか限られるというのがHASHIさんの日本に対する客観的な感想のひとつのようだ。

残念な話ではあるが、思い当たる人、頷いてしまう人は多いのではないかしら。とくに若い人の場合、上司や先輩がへりくだるので、その下にいると相手とディスカッションできなくなる、それどころか話をするチャンスをもらえずに歯ぎしりをしたい気持ちになる、なんて経験をしている人は多いのではないだろうか。あるいは逆に、いたずらに遠慮してしまう自分を経験することはないだろうか。

謙譲の美徳を否定するつもりはまったくないし、相手を立てる日本の文化のよさはそれとして維持していきたいと思うのだが、それが形だけになって本当の気持と離反してしまったり、実質的な情報交換の機会を阻害しているとしたら、それはやはり是正される必要があるはずだ。「是正しよう」とスローガンを連呼するのではなくて、日々の状況の中で自らがかくあるべきという対応を上手に実践していくことによって。


■橋村奉臣さんのホームページ