アラヤの中嶌さんにお会いした

翻訳会社アラヤの中嶌重富社長にお会いすることができた。アラヤはまだもうすぐ創立4周年というできたての会社だが、その短い期間のうちに、翻訳会社としては有数の規模にまで急成長を遂げている伸び盛りの企業だ。翻訳会社というと僕などは反射的に日英翻訳を思い浮かべてしまうが、アラヤは英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語は言うに及ばず、ロシア、ポルトガルノルウェースウェーデンデンマーク、アラビア、ペルシャ、ヒンディー、マレーシア、ベトナム、タガログ…何でもござれの多国籍語翻訳を得意とする会社である。
翻訳なんて小さな事務所でちまちまとやっているんだろうというイメージしかなかったが、中嶌さんはいくつもの言語を扱うこと、商材の制作までビジネスを広げること、ITを活用した共同作業システムを確立することによって翻訳に規模の経済のメリットを持ち込んだ。「Best of Communication」という明確なビジョンにつながる具体的な施策が、産業界の多様なニーズをワンストップで満たし、スピードアップをもたらすというアラヤの明確な長所を演出、現在の急成長をもたらしている。伸びる会社には確実に理由があるということ、翻訳のような産業として誰も顧みないような領域にもちゃんとビジネスが伸びる余地が残っていることを証明する中嶌さんの手腕は敬服に値するし、頭を使って仕事をしろという励ましを受けている気にもなる。

P&Gのご出身で、今や押しも押されもしない有名ブランドに成長した掃除機のダイソンの元社長であるOffice WaDaの和田浩子さんをご紹介いただきたいと突然メールでお願いをし、仲介の労をおとりいただいたのがそもそものご縁である。ダイソン、トイザらスと社長をお務めになった後に個人コンサルタントとして独立された和田さんの名前をウェブで検索したら、その当時はまだ彼女のホームページができる前のことで、アラヤという会社の顧問でしかお名前が見つからない。ままよとアラヤのホームページにある中嶌社長宛にメールをお送りしたのだった。

それが2年前の話。一度アラヤのオフィスにお邪魔した際に中嶌さんはご出張中でお会いできず、今回やっとご挨拶することができたという次第だ。中嶌さんは、銀行員からスカウトされて翻訳会社の役員となり、56歳の時にやむにやまれずというご事情で独立を決意された方である。オフィスの壁には和田さん同様アドバイザーの立場にある画家の笹尾光彦さんの絵画が壁という壁に掲げられ、社員の名刺には各人が自分で考えた役職名が印刷されているなど、アラヤには中嶌さんの個性が随所に光っている。

実際にお会いした中嶌さんは、人当たりの良さと、なるほどと唸りたくなる発想の豊かさに話を初めて数分のうちに気づかせられるような方だった。おおざっぱに言うと、ビジネスの世界で出会う人には、最小限のリスクで迅速にものごとを進めることに一生懸命の人と、新しいことを取り入れることに熱心な人がいる。実際には一人の人の中には両方の要素が混じり合っているわけだが、人によって前者の傾向が顕著だったり、後者がやけに目につく人がいる。

銀行員だった中嶌さんが管理の面で人並み以上のことができて当たり前だし、きっとそうには違いないが、これからの産業界でどこに新しい翻訳のニーズが出てくるかをロジカルに語ったり、日本の社会のゼネラリスト志向を明治維新に遡って理解したりする中嶌さんは、どうも典型的に後者のタイプではないかと思った。

笹尾光彦画伯のつながりで一昨年東京都写真美術館で開催された「HASHI展」の際に橋村奉臣(HASHI)さんにもお会いになっていらっしゃる。これも何かの縁かもしれない。
またお一方、会って話をすると元気をもらえそうな方と知り合うことができた。


■翻訳会社を設立して(アラヤ(株)中嶌社長のブログ)