『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(2/2)

書斎に上る

急な階段をとんとんと上り、2階にある美崎さんの仕事部屋を拝見する。ストレージが設置されている屋根裏を指さす美崎さん。左手前に写っている黒っぽい物体は今回肘だけで登場のfuzzyさん。壁紙は海。ブラインドは鯨の図柄。鯨という存在に子供の頃から惹かれるという美崎さんの好みがストレートに反映されている。


これが美崎さんの仕事机だ

あちこちで紹介されて有名なデスク『JOYTOY』。ディスプレイは二つを常用する。正面のマシンで仕事をしている際も、左側のスクリーンに過去のデータがスライドショーで投影され、様々な想起を誘う。机の左奥に覗いているのは、美崎さんがSmartWrite/SmartCalendarを入れて持ち歩いているVAIO-U。外出中に浮かんだアイデアはこれを用いて記録される。


これもおなじみのTRON配列の革装キーボード。TRONのキーボードって日本で何人が使っているんだろう。革の黒ずみが過酷な利用の凄みを感じさせる。真ん中に置かれている電子ペンは市販のものを美崎さんの好みに合わせて改造したもの。美崎さんの手になじむようなバランスを実現している。本当は万年筆の軸に入れたくて、それができる業者を日本で2カ所探し出して依頼をしてみたが、断られてしまったとのこと。創造には常に困難がつきまとうのだ。


残された書籍たち

本当に取っておきたい本は20、30冊程度に過ぎないという美崎さんだが、そういうとっておきの本には特別の愛情が注がれていた。皮革装幀を施されてステンドグラスの箱の中に飾られているのは川原由美子の『KNOCK!』。その右手には東急ハンズ仕入れた皮革が新たな作業を待っている。


絵本『くじらのラッキーくん』は美崎さんが生まれて初めて読んだ本だという。彼が今に至るまで鯨が大好きなのは、この本の影響が大きいと美崎さんは自己分析している。


軽みとオリジナリティ

美崎さんは間違いなく新しいパラダイムを生きている人だが、実際に会ってみると、過度にエキセントリックでも、“absent minded professor”タイプの御仁でもない。話を聞いていると軽やかに今を切り開いている印象がありありで、「この人癖があるなあ」といいたくなる“変人”タイプのパーソナリティとはまるで遠いところにいる。とは言え、文字の上でその実践を知った時には、どうしてもそう思えないところがある。軽やかに生きるために、重たい実践を生きるという彼の生き方を指して「美崎さんのパラドックス」と呼んでも差し支えないかもしれない。


別の言い方をすると、美崎さんは自分の資質と気質に対して率直に生きるている人だ。そのためにまなじりをつりあげることなく努力を続ける。結果として表れてくるのが、この人ならではのオリジナリティだ。この点で、昨日『三上のブログ』の三上さんが写真家・橋村奉臣さんについて書き記したこの素晴らしい一節は、「橋村奉臣」の部分を「美崎薫」に変えれば、そのまま美崎さんの生き方を表現として通じるのではないか。僕は、HASHIさんと美崎さんは気質は違えども、資質はそっくりだなあと思っていたので、三上さんの文章を読んだときに嬉しくなってしまった。

私は橋村奉臣その人に会って、自分を本当に大切にすることが実は最も大変な闘いであることを痛感し、再認識した。それは他人の中だけなく、己の中の偏見や常識や知識とも闘いながら、ちっぽけな種のような自分のオリジナリティを必死に育てることだからだ。そのために、まるで空の器のようになるまで、いつも自分をさらけ出せるところまでさらけ出して、彼は必ず来るもの(未来)を待つ。
(人間橋村奉臣:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて10)


いやまてよ。でも美崎さんの場合、“必死に”というフレーズはもしかしたらふさわしくないかもしれない。“軽み”を抜きに美崎さんは語れないと思うから。


新しい試みに乾杯

それにしても、自分自身を表現することは容易と見えて、実はとても難しいということを美崎さんとその試みを前にするとあらためて思う。美崎さんがある『記憶する住宅』の記事についてこんなことを言っていた。

「この記事を取材した女性記者には、ちゃんと説明したのに“まるで悪夢のよう”と書かれてしまって、おいおい、悪夢はねーだろーと(笑)」


文藝や絵や写真、建築は作品それ自体が独立しているが、美崎さんのプロジェクトは直感で一瞬にうち理解できるものではないし、もっと言えば、美崎さんの生き方それ自体が作品なので正直なところ捉えがたいところが大きい。さらに言えば、「忘れる」という自然の摂理に真っ向から挑む美崎さんの姿勢に「それは悪魔の所作ではないか」と感じる者がいても何ら不思議ではない。しかし、科学や技術のパラダイムが変化するときに、こうした拒否の感情が先に立つのはこれまでもまま起こってきたことだ。美崎さんの姿勢が不自然だと言って非難したり、一笑に付したりするのはフェアではない。


僕自身、「忘れてもいいじゃないか」と思い過去をないがしろにしながら過ごしてきた。しかし、美崎さんの取り組みに接して「忘れなくてもいいじゃないか」という声が不思議なことに自分の中から聞こえ始めている。美崎さんの壮大な実験が神をも恐れぬ所業であり、仮に美崎さんが見る人から見れば悪魔のような人だったとしても、僕は、本質的に美崎さんは『記憶する住宅』の入り口で門番を努めているお茶目な悪魔ではないかと思っている。少なくとも、怖がったり、過度に引いて眺めたりする必要はない。


おまけ(その1)

というわけで、美崎さんに刺激されて、データを見返す、使い回すという意識が生じてくると、それだけでちゃんと効果が表れるから不思議である。

早速気がついたのが、美崎さんが登場する東大工学部のシンポジウムのWebページに高校の同級生が登場していたこと。ここに出てくる「東京大学新領域基盤情報学専攻の相澤清晴教授」、あんまりすごい漢字の羅列なので読み飛ばしていたら、なんだ、よく見れば高校の2年間同級だった相澤君じゃないか。このブログに時々顔を出してくれるアマチュア・トランペッター川合君と一緒に3年前のクラス会で久しぶりに会ったときも雰囲気は高校の時のままにえらく太くなっていたので、分からなかった。発見!

おまけ(その2)

『記憶する住宅』を訪問する前日、東京都写真美術館の前でポーズする美崎さんと三上さん。鯨の話を聞いて見直すと、なんと美崎さんは自身が鯨と化してコルクの栓を頭から吹き上げているではないか! 鯨を愛する美崎さんの思念が写真を撮った僕と共振して、こんな写真になったのだ。発見!(もちろん、冗談です。念のため)


というわけで、データの存在をおろそかにせず見直すということの重要さに気づかされた美崎邸訪問でした。