またブルーノ・タウト

ブログにモーツァルトについて書けば、検索エンジンを通じてネットにさざ波が立つ感覚を味わう。カメラのことを書いても、松坂のことを書いても同様に。広い琵琶湖のほとりで石投げをするようなものだが、それでもどこかで反応があるのがブログの面白いところだ。しかしこれがブルーノ・タウトとなると、検索エンジンはうんともすんとも。投げた石はいったいどこに届いたのか、まるで見当もつかない。

いったい、戦前に日本に来て桂離宮を褒めそやしたドイツ人建築家に、建築の専門家ではない一般人の誰が興味を抱く? いつも読んでいただいている方も退屈しているかもしれない、そうに違いないと思うとこれ以上タウトについて表面的な感想を書き続けることに大きな躊躇を覚える。吉田秀和について書き始めたときも同じ感覚はあったが、あのときは立て続けには書かなかった。

しかし、知れば知るほどブルーノ・タウトは面白い。今読んでいるのが高橋英夫の『ブルーノ・タウト』(1991年 新潮社)。昨晩、『ブルーノ・タウトへの旅』を読み、彼の生涯をどこかで切り取れば、印象的な小説になると直感した。そのことが頭の片隅に残っていた中で手に取った高橋英夫の『ブルーノ・タウト』は、驚いたことにまさに小説の情景描写のスタイルで始まるのである。その文章が、まさかそんな文体を予想しなかった眼に思いがけないみずみずしさをたたえて映る。

おだやかに晴れた日であっても、碓氷川の流れは速い。西に連なっている関東山地の諸所方々に発したいくつもの小さな流れが、斜面を下って谷間に出るたびに次々と合流すると、あとはひたすら東へ向って流れてゆくこの川は、つねに急流と言っていい。陽差しの強いときなど、瀬波が川幅いっぱいにこまかく立ち、乱反射する光の粒子までが水とともに揺れるように走り下る。
高崎の郵便局を出発した一人の郵便配達夫が赤い自転車をこいで、いま碓氷川沿いの道を西へ西へと向かっている。
高橋英夫ブルーノ・タウト』プロローグ 別離の人)

しかも、さらに驚いたことにタウト自身が日本で最後に書いた『日本の家屋と生活』という文章の終章では、高崎で屈託の日々を送る彼が、離日する場面を小説風に空想して描いたものとなっているというのだ。それだけではない。タウトが日本を去りトルコで客死した直後の昭和14年石川淳が『白描』という小説を書き、その中にタウトをモデルにしたドイツの建築家・クラウス博士が登場するのだという。以上はいずれも今読みかけの『ブルーノ・タウト』で知った事実である。

タウトには奇妙な既視感を感じる。それが何かを考えながらの読書を続けている。

■ブルーノ・タウト(Wikipedia)