換骨奪胎

戦前に活躍したドイツの建築家ブルーノ・タウトの名前は、日本では桂離宮や日本建築、日本文化の紹介者としてつとに有名だ。タウトがどんな建築家は知らなくても桂離宮をべた褒めしたガイジン建築家の名前は多くの人が知っている。僕のタウトの知識もそのレベルである。熱海の旧日向別邸は、タウトの研究者やファンにとっては垂涎ものの歴史的建造物だろうが、タウトが日本で唯一手がけた建造物(といっても内装をデザインしただけだが)は、僕が眺めても猫に小判の比喩を一歩も出ない。でも、猫は小判で買い物はしないが、遊び好きの猫ならば、一瞬なりともきらきら光る小判にじゃれあって楽しむかも知れない。素人の見学はそんな感じのものだ。

旧日向別邸は、貿易商・日向利兵衛氏の別荘だが、海を望む地下広間の内装を当時、日本の建築界から敵視され、仕事を制限されていたタウトのために彼の世話をしていた役人が日向利兵衛に依頼をして実現してあげた仕事なのだという。その後、建物は日本カーバイトの手に渡り、熱海市に売却される最近までエグゼクティブ向けのゲストハウスとして活用されていた。一般公開が始まったのは昨年からだ。

当日、案内をしてくれたボランティアの方の説明を聞くと、あちらこちらに桂離宮を始めとする日本建築の意匠や構造がはめ込まれている。竹を曲げてつくった手すり、熱海沖の漁り火を抽象したとも、説明員の自説によれば、タウトが日記に書き記した夏祭りの夜店、その灯りのオマージュではないかとも見える、裸電球を二列にずらりと並べた照明。床の間や帳場風のデザインを組み込んだ和室など、まあよくやるよなと思わずにいられないほど日本が細長いホールの限られた空間に詰め込まれ、チューダー風と説明があった洋風のデザインと組み合わされ咀嚼されている。

実際の施工を行った宮大工さんの技ともども建築の専門家が見れば、様々な発見があるだろう。少人数の見学者の中にいた建築家はさかんに感心をしていた。しかし、僕ら素人には残念ながらそうした部分はどこまでも猫に小判だ。また、時代を遡って、その空間が当時の日本の中でどのような意味を持ち、あるいは感興を催す可能性があったのかについて思いを致すのもなかなか難しい。解釈したり、楽しんだりするために必要な知識のバックグランド、文脈が欠如している。結果としては、表面的に見えるものを見えるように見るしかない。

何が見えたのか。へんてこな和風趣味だ。奇妙な部屋に見えた。こういうものを見るのになれていない自分を発見したと言ってもよい。こういうものと言うのは、日本文化を換骨奪胎した姿ということだ。旧日向別邸はけちで写真を撮らせてくれないので、その様子はこちらのサイトから御覧下さい。奥の日本間、和洋風折衷の間が写っていないのが残念ですが。

http://www.city.atami.shizuoka.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1123578433506&SiteID=0


ちょうど、旧日向別邸を見る前に連れて行ってもらった起雲閣は、大正時代に竣工した熱海を代表する別荘だが、そこには我々が旧日向別邸で見るものとはまったく逆のものがあった。1929年、タウトが旧日向別邸で仕事をする直前の時期に建てられた洋館である。ステンドグラスを多用し、欄間に螺鈿の細工を施すなど一見して贅を尽くしているのが明かな内装。しかし面白いのは、ボランティアの説明を聞き目を凝らせば、そこには様々な洋のテイスト、中華風文様、和風の意匠が盛り込まれている。僕の目には説明がないと分からないのだが、実際にはデザイン博覧会の様相なのだ。こちらは写真を撮らせてくれた。


明治以降の日本は、今に続くまで西洋の風物を取り入れてはかくのごとく自分たちの感性にそぐうように改変を加えながら貪欲に吸収しまくっている。今も大きな文脈ではそのトレンドは続いているわけで、昭和初期に建てられた起雲閣の洗練には驚くし、昭和初期の洋風建築に対してそれが時代錯誤風に見えない自分自身の感性にもまたびっくりするのである。欧州人を起雲閣の部屋に連れてくれば、おそらく「なんと変な部屋」と驚くだろう。私の感性は、昭和初期の日本人と変わらない部分をかなり引きずっているのではないか、それもまた民族としての記憶の一部なのではないか。

タウトの旧日向別邸には、起雲閣の洋間を設計した日本人と同様の、あるいはそれを凌ぐチャレンジ精神と創造性を認めるのにやぶさかではないものの、僕の感性は「あっ、これはタウトの日本の建築物を見て回った、その結果としての日本の印象記みたいな部屋だなあ」と感じるとともに、ごく自然にタウトの姿を通り越して、桂離宮を見たい、本物がいいと思ってしまうのだ。そんなタウト自身に対しては、同時にひどく興味をそそられるのも事実なのだけれど。

このことについていろいろな見方ができそうだが、僕は、今回の見学で「要は、換骨奪胎することに慣れてはいても、換骨奪胎されることになれていない私」を感じるのである。カリフォルニアロールアメリカで売られている海苔を中、ご飯を外に巻いた巻きずし)にも、ハリウッド風ゴジラにも「まあいいけどぉ」といった類の、煮え切らない視線を送る自分という日本人は、世界に出ていくこと、何かを出していくことに対する覚悟から遠い自分であると、そんな風に考えてみる。いじられることに耐え、慣れる。鷹揚に構えて、どうぞお好きなようにいじってくださいと言い放てなければ、情報を発信した成果は限られた範囲にとどまってしまうだろう。自嘲が過ぎるだろうか。でも、この自嘲は前向きのエネルギーに転換できそうな気がする。

(起雲閣の洋間の写真をこちらに貼りました)