旧日向別邸のブルーノ・タウト

このブログをお読みいただいている方に建築についてご興味を持つ方が何人ぐらいいるのか分からないが、書いている私はまるで何も知らない素人で、そんな私が建築家の話題に触れても誰が面白がるものかと及び腰にはなる。

でも、そんな素人が何かを書いてみたくなった。自分がこの世に生を受けるはるか以前の1938年にこの世を去ったドイツ人の建築家がいて、その人がたまたま何の因果か、学会に招かれて日本の地を踏み、思いがけず数年にわたってこの国にとどまった印象を何冊かの書物に書き記して、たった一つの建築関係の仕事を熱海で残す。建築に造詣が深い知り合いに誘われた私がふらふらと遊びに行った先がたまたま熱海であり、昨年から一般公開されているその業績に接して「へえ」となにがしかの感慨を覚えるのは、それ自体なんだか不思議で面白い。記憶の伝承はそれを残す執念と偶然とのあざなう縄のごときものだ。

我ながら中年くさい興味の持ち方だとは感じる。20歳代よりも以前であれば、旧日向邸を見て心に残るものがあったとは決して思わない。30代でもそうだったと思う。しかし、ナチスが台頭するドイツにあって、反戦思想の持ち主であったが故に国を追われたタウト。到着した日本が気に入って「永住してもよい」と周囲に漏らすほどに心の平安を得たにもかかわらず、けっきょくは軍国主義化の進展する政治情勢下、やむなくこの国を去ったというタウトの人生、到着したトルコで2年を過ごした後にこの世を去ることになるタウトの人生にウェットな心情的関心を抱く自分がいる。「人生ままならない」なかで、別荘の内装のような、言ってみればちんけな仕事に自己実現を図ることを余儀なくされたタウトは何を考えていたのだろう、と。

建築の素人の私には、旧日向別邸の仕事はかぎりなくちんけに見えてしまうのだが、間違いだろうか。少なくとも、彼が1910年代に書いた、アルプスの山岳地帯に壮大な伽藍を建てる「アルプス建築」のビジョンを知ってしまうと、その思いは消えない。人間、変わる部分と変わらない部分があるが、意匠に対するアプローチは如何様に変化しても、一人の人間の芸術に関わる性向が根本から大きく揺らぐことは少ないはずだ。それは人格が変わるというほどのことのはずだから。

昨日のエントリーに「写真はない」と書いたが、旧日向別邸見学をアレンジしてくださった山本さんからご厚意で写真を頂戴した。昨年訪れた際には、まだ撮影禁止の無粋な措置はとられていなかったのだ。

山本さんの説明によれば、三つの間からなる日向邸の空間は、タウト自身によってそれぞれ「ベートーヴェン」「モーツァルト」「バッハ」と呼び習わされていたそうだ。これは山本さんが写真をお撮りになった際に案内の方から聞いた情報である。

階段を下りると、印象的な竹の手すりを持つ階段を下りて、「ベートーヴェン」に降り立つ。


細長いホールは、海を望む側が全面大きく開く作り。反対側がこんな風に壁になっている。裸電球の飾りもタウトのデザイン。



その奥が、雛壇のような階段がある「モーツァルト」と和室色が強い「バッハ」。


モーツァルト」の奥はくすんだ赤い壁の階段になっている。


そして、モーツァルト同様、階段を配した和風の間「バッハ」。