HASHIさんの展覧会を見に行く

上野の国立西洋美術館で開催されている「ローマ未来の原風景byHASHI」を見に行く。ニューヨークで活躍するHASHIこと写真家の橋村奉臣さんが行っている個展で、この展覧会は国立西洋美術館の開館50周年事業の一環に位置づけられている。

個展のテーマはローマ。写真はHASHIさん独自の写真技法である“HASIGRAPHY”で処理され、ごわごわとした厚手の特殊な紙の上に写真と絵画とが融合したようなモノクロのイメージが展開される。僕自身はちょうど3年前に開催された前回の個展で見て以来だが、展示の中心は今回の展覧会のために撮影された新作である。

展示会場には、いつもならば素描などが並べられている、ガラスの扉で仕切られた奥まった一室があてられている。その扉を押して会場に入ると、何かを間違えたのかもしれないと一瞬ためらいをおぼえるような闇の世界。そのなかに、一点ずつうすぼんやりとしたスポットライトを浴びた作品群がうずくまるように配置されている。これがHASIGRAPHYの世界だ。

僕自身のHASIGRAPHYに対する感想は3年前にも書いたが、いま読み直しても、そのとき抱いた感想はほとんど修正する必要がないと感じられる。ただ、そこには書いていないこと、書けていないことがある。HASHIさんは、HASIGRAPHYの作品について、千年の未来から振り返った現在であり、千年後の人々がどこかに保存されていた現在の写真を発見したさまを想像して制作したものだと語っている。3年前にも書いているのだが、僕自身はHASIGRAPHYについては、作者の創作意図には縛られずにこれらの作品を読んでいる。誤読は読者の大切な権利である。


■「HASHIGRAPHY」とは何か(2006年10月23日)


穴蔵のような会場の奥まった場所に、よく美術館で見る背の低い正方形の椅子が二畳分ほどの広さに固めて置かれており、その休憩スペースだけが明るいスポットライトに照らし出されている。その椅子の上には、今回の展示作品を掲載している作品集とともに、3冊のノートが置かれていた。それをぱらぱらとめくり、拾い読みをする。ノートのなかには、愚にもつかないいたずら書きが半分近くは占めていたかもしれないが、同時に作品や展覧会に対する真摯な感想や、賞賛、感謝の声が書き込まれてもいるのだった。

たまたま眼にとまったある書き込みは、「修旅できました。」と始まっていた。“修旅”というのは修学旅行のことだろう。上野にやってきて、自由行動の時間に、この場所に紛れ込んできた制服姿の男の子。彼は、気が合うわけでもない連中に気を遣いながら動くよりも、ここでじっと作品を鑑賞している方が幸福だという要旨の、きちんとした文章を書き込んでいた。美術に係わる仕事をしたいと書いていたのではなかったかとも思う。静けさと暗闇が支配する空間で、安らぎとともに作者とコミュニケートする高校生の姿がありありと浮かび上がるようで、まいったなと思ったことだった。

この高校生を安堵させ、魅惑する空間としての展覧会。その暗闇とそこにぼんやりと浮かび上がる作品のありさまは、僕には時間が溶けてなくなった世界を想像させる。これは、感覚的に自らの心のなかのありようととても近いというのが、会場で思ったことだ。件の高校生も自らの心と向かい合う時空に特別な何かを感じたのではなかったか。心のなかか、あるいは胎内か。HASHIさんが作りたがっているのは、そうした時間のない世界ではないかというのが僕の想像だ。さきほど、前の展覧会の感想として書けていないことがあると言ったのは、このこと。実は展覧会に伺ったのは2度目なのだが、9月下旬に見たときと比べると、作品につけられたキャプションを変更するなど細かい修正が加えられていた。そんなところも、生きている展覧会という思いを抱かせられ、脳内、胎内という想像とつながるのである。

ところで、作品集『ローマ未来の原風景』には、巻頭に4人の識者が文章を寄せていて、西洋美術館の青柳館長、作家の立松和平さんらと並んで、三上さん(id:elmikamino)が読み応えのある、素晴らしい一文を寄稿されている。

展覧会は12月13日(日)まで。


■「ローマ未来の原風景byHASHI」(hashi-ten.com)


HASHIGRAPHY Rome: Future Deja Vu ローマ 未来の原風景

HASHIGRAPHY Rome: Future Deja Vu ローマ 未来の原風景