差別化

二番煎じのような企画ばかり持ってくる者がいると、彼は差別化ということに対してどう考えているんだろうと不安になる。差別という言葉はよろしくないと差異化という訳語を好む人も多いが、御存知のとおり、もともとdifferenciationという英語に訳語をどう当てるかという問題で、iPhoneに入れているウェブスターの辞書には動詞のdifferenciateの説明として、「recognize or identify as different; distinguish」とある。自分の仕事や業界の話で具体的に説明するのは生々しすぎるので、よそ様の話に置き換えると、僕が考え込んでしまうのは「最近twitterがはやっているので、マイクロブログを開発しましょう。この企画では、twitterに比べて格段に日本人向きのデザインにしました」と語るに等しいような、メルヘンチックなビジネス提案についてである。
人の欲望は限りがないのも事実だが、どれもこれも要約してしまえば実に単純で馬鹿らしいほど分かりやすく、すぐに手に届きそうに見えてしまう。ところが、ものを作り、あるいは売る側にまわると、自分が見ていたと思っていた何かはまぼろしではなかったのかと卒然と立ち尽くす気分になる。意識がそこに至ると、今度は自分の手や足を軽々に動かすのがこわくなるのである。外から見れば、僕はいずれにせよ木偶の坊のように立ち尽くしているとしか見えないだろうという苦い思いだけがそこに残ることになる。