我、日本文化を愛す

熱海に遊んだ二日間、テレビも新聞も、インターネットにもさわらなかった間に現実の物理的な雲向きがいっぺんに変わってしまい、出かける前は「来週も晴れるでしょう」だったはずの天気予報が連日の雨と曇りを伝えている。狐につままれたような気分。秋霖の時期には本来であれば少し早すぎるはずだが、天気図を見れば前線が見事に本州の上に横たわっている。明らかに天候の歳時記が壊れつつある。


ブルーノ・タウトに関連してウェブ上で面白いテキストを見つけた。来日当初には予想もしなかった長期滞在を余儀なくされることになったタウトに救いの手をさしのべ、群馬県高崎市の少林山達磨時境内の庵を世話して工芸制作の仕事を与えたのが、高崎の実業家である井上房一郎。その人の著書からタウトの思い出を綴った文章がこちらで読めるのだ。当事者の記録であり、飾り気のない文章だけに興味深い。また、このテキストが掲載されているのが井上房一郎がかつて経営していた井上工業のホームページというのも面白い。この会社、いまもまだしっかりと経営を続けており、建築を中心に事業を行っている様子だ。


タウトの置かれていた状況、著名な肩書きだけがあって、仕事も金も満足には得ることができずにいた日本生活の厳しさを井上の文章から推測することができる。旧日向別邸で見せられたプロモーションビデオでは、タウトはあたかも高崎に好んで出かけ、その田園生活に充実の毎日をみていたかのような印象を与える説明があったが、少しでもタウトのことを調べるとそんなのは大嘘であることがすぐに分かる。高崎をいよいよ去るにあたってタウトは「我、日本文化を愛す」という一文を残し、それは現在石碑に刻まれて達磨時の境内にある。ビデオを見れば、タウトという人は日本大好きおじさんだったんだと、彼の日本生活の明るい側面だけに注意が行くばかりなのだが、よくよく考えると「日本文化」とは書いても「日本を愛す」とは書かなかった事実にタウトの複雑な心情が現れていると見るべきだろう。私はまだ読んでいないのだが、彼の日記には辛辣な日本批判がかなり書かれているらしい。


必ずしもすべてが同じというわけではないけれど、このタウトの感情は自らの意思で海外に出かけ、そこを拠点に仕事をする人たちに見るある種の心情と近いものがある。私がブログを介して知り合ったHASHIこと橋村奉臣さんがそうだと思うし、はてな近藤淳也さんがお書きになっている「日本の印象」もタウトの目線にクロスオーバーする。


■橋村奉臣さんのホームページ


■日本に来ました(『jkondoの日記』2007年6月20日)
■カエルの危機?(『jkondoの日記』2007年7月1日)


橋村さんや近藤さんは例外ではない。海外にいる友人・知人とたまに会って話を聞くと「日本はいい」という話になるのだが、話が長引けばタウトが賛美と同時に行っていたという辛辣な批評と同種のものを彼らの口から聞くことになる。ある種の合理的な価値観を持っている人にとって、日本で仕事をするのはあまりにまどろっこしくて辛抱を必要とすることなのだ。「日本はいい」場所だが、仕事をするところではないという感想。タウトが日本に来たのは70数年前。70年前のドイツ人と同じ、あるいはとても感性の似た日本人たちが、いま仕事の先を海外に求め活躍し始めている。民族性と呼ばれるような大きな構造が変わるのは、短くともそれぐらいの時間が必要なのだろう。


しかし、この事実には割り切れない思いが残る。ほんとにそれでいいのかね? 我々は日本はそんなところだと諦めてしまっていないか? これは自問自答。