ポロックのカワセミ

先週、初めて本物のカワセミを見た。水際の葦、ススキの枯れ枝の中にエメラルドとオレンジの、日本の自然にはまるで不似合いな派手な姿が鎮座している。初めて見ると、それはそこにあるのが信じられないような、別の次元から現れた物体ではないかと思えてしまうほど周囲の風景から浮いており、インパクトが強い。


あわててカメラを構えたが、結果は大ブレ。ところが、どうだ。カワセミの写真としては大失敗だが、周囲の枯れ草がまるでジャクソン・ポロックのアクションペインティングのような味のある素敵な“絵"を仕立て上げた。抽象画の画面に紛れ込んだカワセミ、なかなかきれいだと思いませんか。間違いなくカメラが作者の僕の意図を無視して作ってくれた偶然の作品、二度と作れない代物である。






一般的に言って、写真はカメラと撮る者との共同作業であり、さらに人間の側から見るかぎり、カメラとの相互作用、一種のコミュニケーションを前提にした面白いアートである。撮ってみて、画にしてみて初めて見えてくるものがあり、カメラごとの発色や露出の癖がある。それらの特徴を理解しながら、じゃ、今度はこういう光の具合の時は露出をこれぐらいマイナスにすれば画面のメリハリがつくな、などとカメラと会話をしながら画づくりに精を出す。そういうコミュニケーションのプロセス自体は素人の撮影においても本質的にはプロがやっていることと変わらないだろう。今回は、とっさのホールドが甘くてカメラの期待には応えられなかったが、この絵をお払い箱にしなかった自分の感性は十分に創造的だったと負け惜しみを言っておこう。


ぶれていない写真も一枚ご紹介します。持っていたカメラは鳥を写すにはまったく不十分で、こんなに小さな画しか取れませんでした。