新しいことに挑戦できない企業(わたくし)

企業のIT武装もどんどん進んでいる。現時点でもっとも人気があるトピックはSOAとSaaSというところだろう。昨日もある商用セミナーでSOA関連の講演を覗いたら、鈴なりの人だかり状態だった。二つのコンセプトは、何れもIT投資の効率化、コスト削減に資するもので、利益率の改善に躍起になっている企業にとっては重要性が高い。人が集まるのも頷ける話だ。

こうしたコスト削減系の施策は会社に受け入れられやすいので、IT担当者にとっては都合がいい。どの会社も「旦那、同じ効果をずっと安く達成できますよ」と殺し文句を言われて、前のめりにならないわけがない。日本の企業はコンセンサスを社内で採るまでに以上に長い時間と手間がかかるのが通例だが、しかるがゆえに、こうしたコンセンサスの採りやすいテーマは、筋さえよければどんどん進む可能性がある。

一方その裏返しで、同じITが絡む話でも、ビジネスモデルや新しい付加価値創造プロセスを作るような攻めの投資話は苦手とする傾向が強い。これはお役所の日米企業対象のアンケート調査などを見るとよく分かる。アメリカの大企業は日本に比べるとずっとリスクにかける姿勢が見える。つまり、そうしないと生き残れない競争社会なのだろうなとあらためて考えてしまう。

「米国」それに「新しい」と言えば、僕は今でも駐在中に初めてデルのパソコンをオンラインショッピングで購入したときの、デルのてきぱきとした対応の素晴らしさを思い出す。アメリカで暮らすと通信販売で商品を買う機会は増えるので、その延長線上でノートパソコンも買ってみたのだが、そんな高額な買い物をしたのは初めてのことだった。日本でも当たり前になった物流のトラッキングシステムにも驚いたし、すべての仕事が速いのにたまげた覚えがある。で、結局届いた商品をさわってみると、どうも気に入らない。キーボードがぺこぺこしている。そこで電話をかけて返品することになったのだが、そのときのオペレータの素早い対応、「キーボードでしたら、よりいいのがあり交換もできますよ」と勧めてくる仕方のうまさなど、CRMのシステムが血の通ったサービスになって動くさまの見事さに舌を巻いた。いまや、こんなことは日本のどこの流通業者もやっていることだろうが、十年ちょっと前の当時はまだここでしか動いていないという類のものだった。アメリカにはそういうものを作る力がある。頭がいい人が全体を設計し、完璧なオペレーションを考え、はっきりいってできのよいとは言えない店員さんを使って商売をしている会社が日本とは比べものにならない利益率を叩き出すのだ。

そのよって立つところの違いが何から生じるのか、株主資本主義の存在、利益に対するハードルの高さ、競争の実態、経営者のアグレッシブさ、楽天性、リスクを採る風土、どれが原因でどれが結果なのかも判然としないなかで、これだけは明らかなのは、それに比べて日本の企業はどんくさいということだ。正直に言うが、僕の場合も、多くのケースでは会社の中で物事を回すことにエネルギーを使い果たしてしまう。最後には社内で意見が通ることが価値に見えてきてしまうのだ。スタッフ部門にいるので直接外が見えにくいということは差し引いたとしても、外を考える余裕がなくなってしまう心理的な現実は歴然としてある。自分が担っている仕事が社会とつながっているという感覚がないと、新しいことにチャレンジしようという意欲が沸々と湧いてくるという風にはなりようがない。ちょっとネガティブな書き方になってしまったが、それじゃ駄目なんだよという意識は常に持っていたいとは思う。