フラットな組織

ドラッカーを読んでいたら次のような一節にぶつかった。

今日にいたっては、インターネットやeメールのおかげで、コミュニケーション・コストはコストとさえいえないところまで下がった。
P.F.ドラッカーネクスト・ソサエティ


僕が無知なだけかもしれないが、ドラッカーの文章は、ビジネスマン向けの書物のなかで読む気になるほとんど唯一のものだ。それはともかくとして、碩学ドラッカーが言うように歴史的な文脈では企業の取引コスト、コミュニケーション・コストはITのおかげで信じられないほど下がっているだろうとは思う。10年前はまだファクシミリで一所懸命に情報を送ったりもらったりする、今思えばのどかな時代だったなんて信じられないことだ。

ただ、ITに先んじて取引コストを生む企業体質、それはもっと言えば日本固有の根回し体質そのものだと思うが、そこを整理しない限り、日々の接近戦の中で生じる局所的なコミュニケーション・コストは減らない。減らないどころか、そこで働く個人にとっては新しい頭痛の種になったりもする。スタッフ部門として働いている僕の仕事など、体感的には7割か8割はコミュニケーション・コストである。たしかに社内連絡を電子メールでいっせいに流すのはたやすいが、順番を間違えたり、偉い人への根回しを忘れていたりすると、あちこちから批判が湧き上がる。

「誰がそれを決めた」
「そんな話は聞いていない」
「もっと早く言っておいてもらわないと」

そんな苦情が来るたびに冷や汗をかきながら、この件はどこまで周知、この件はまず営業の現場にOKをもらって、来週A役員のところに入って、などと考え考え、若い子を叱りながら次は間違えないようにと気を使う。この会社に転職して以来、そんなことに気を使う毎日が続く。20代から教え込まれていることならともかく、40歳を超えて大企業の社員となり、こういう文化に新たに接しなければならない身になるとたいへん。「いやー、めんどうくさい」と思う前に頭の中が硬直してしまいそうな気分になることたびたび。ありがたいことに、今はもうかなり慣れてしまったが。

技術だけに頼ってフラットな組織を実現することはできないということを体感しながら仕事をしている次第だ。