『キーストーン戦略』

現在進行形の読書報告なのだが、マルコム・イアンシティ/ロイ・レービン著『キーストーン戦略 イノベーションを持続させるビジネス・エコシステム 』(翔泳社)を読んでいる。著者のイアンシティはハーバード・ビジネススクールの教授、レービンはマイクロソフトで仕事をしていたコンサルタントである。

先日もあるビジネスイベントでパネルディスカッションを聞いていたら、ポイントシステムの話が登場し、エコシステムという用語が飛び交っていた。この本はまさにその“エコシステム”、産業界における企業の共生関係について考察した一冊である。著者が産業界のケースを実証的に調査した結果を踏まえ、ビジネスパートナーとネットワークを形作りながら成長をしていくためには何が必要なのか、どのように振る舞えば競争優位を確保することができるのかを論じた本だと思って頂ければだいたい間違いないだろう。

ポイントシステムの例に象徴されるように、今まさに我が国でも注目され始めている、企業の垣根を越えた協力関係の構築というテーマを扱っている点で時流に乗っている。日本で出版するタイミングとしては最高だと思う。従来の事業戦略論は社内の能力とビジネスモデル開拓だけに焦点を当てているのに対して、競争はネットワーク間で起きているという著者と訳者の指摘には誰もが頷くはずだ。これからの新しい産業のあり方を示唆し、これからの多種多様なサービス、産業の勃興、広がるニッチの可能性に思いをはせることができるという意味で良書である。

本書の提示する企業の戦略フレームとして重要なのが、キーストーン、支配者、ニッチというエコシステムでのポジションの種別だ。著者は「ほぼすべての健全なエコシステムがキーストーン的な機能によって特徴づけられる」と説き、システムに共生するメンバー企業に対して安定したプラットフォームを提供する役回りをキーストーン、そうした役回りを自ら引き受ける戦略をキーストーンと呼ぶ。本書の中では、キーストーンが形成するハブを中心に成長する“ニッチ”企業の重要性についても多くの言及がなされているが、記述の中心にあるのは容易に想像できるように、システムの屋台骨を背負うキーストーン企業のあり方だ。

二人の著者がとりまとめた調査の帰納的帰結は、キーストーン企業はシステムの形成の要ではあるが、収奪者ではないということ。あくまでシステムに参加する他の企業の共栄とともにある点でキーストーン企業はシステムの“支配者”と区別される。安定し持続する企業のネットワークを形成するためには支配者ではなくキーストーンとなるという意思と戦略が重要だと二人は言う。

こうした主張をする二人の立ち位置から見るとマイクロソフトは反トラスト法に違反する収奪者ではなく、ソフトウェア産業に隆盛をもたらしたキーストーンということになる。著者の一人がマイクロソフト出身者で、調査のかなりの部分をマイクロソフト研究に負っていることを知ると、かなりのよいしょではないか、あるいはある種の政治的な影響力の反映ではないかと穿った見方もしたくはなるが、これは本書の論旨からすると首尾一貫していると考えても良さそうだ。ともかく、マイクロソフト的な事業のあり方を肯定する立場で本書は書かれている点に本書の特徴がある。

面白い指摘はたくさんあるが、今日はそれら一つ一つに触れる余裕がない。説得されないなあと思ったのは、生態系のアナロジーに逆に足を引っ張られているというか、生態系の話をしたが故にかえってわかりにくいというか、牽強付会と見られてしまうような場面が出てきて、著者らが説明に追われるような印象がある点だ。そもそも第一章の最初の方にこういう表現が出てくる。

われわれは、産業はエコシステムだ、とっているのではないし、産業をエコシステムのように組織化することが最適だ、といいたいわけではない。単に、生物学上のエコシステムが、鮮明なイメージを喚起しやすい用語であるのと同時に、複数の企業が演じるさまざまな役割を与えてくれると考えているのである。
(同書p13)

生物の世界では、システムを形成している参加者が戦略を練って参加の仕方を考えているわけではない。キーストーンが全体のことを考えて自らの役割を担っているわけではない。あくまで環境に対して自らが適用をしていく過程の中で、自らの生が他者にとって存在を保証する条件となっていったとしても、それはキーストーンにとっては偶然の結果なのだ。意思を持っているとすれば、それはシステムそれ自体ということになるだろう。もちろん、著者らはこうしたことを分かったうえでエコシステムという言葉を使っているわけで、ここにはそれなりの苦しさが感じられる。著作の苦労という面で、この点は面白いと思いながら読んでしまった。それから、日本の“系列”を彼らはどう見るだろうというのも知的な興味として自然と湧いた疑問だ。

翻訳者である株式会社アウトロジック代表取締役の杉本幸太郎さんは、私がニューヨーク駐在時代に知り合い、いつも大いに刺激を受けている友人。もう10年近く海外調査に基づく企業戦略の策定に携わってきた人であり、翻訳のよさは保証します。これはもしかしたら書かない方がよいかもしれないのだが、彼による「訳者あとがき」が本書の中でいちばん分かりやすく、ぴんとくる。翻訳をやっていると「俺だったら、こういうのに」と思うことが時々はある。このあとがきにもそんな思いがいくぶんかは反映されているかもしれない。


キーストーン戦略 イノベーションを持続させるビジネス・エコシステム (Harvard Business School Press)

キーストーン戦略 イノベーションを持続させるビジネス・エコシステム (Harvard Business School Press)