ジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』

バッハの対位法に基づく音楽は実に難解であり、そのロジックを勉強したことがない私のような素人が味わえる部位は限られている。とくにそれを思うのは、その種の音楽として傑作と言われる『フーガの技法』を聴くときで、人好きのするメロディがあるわけでもなく、情緒に媚びる態度がまるでない音楽を前にすると、ひたすら入り組んだ音の迷宮に連れて行かれるような気分がして、若い頃はほとんど聴く気分にならなかった。それに比べると同じ対位法による傑作でも『ゴルトベルク変奏曲』や『音楽の捧げもの』は、主題がメロディックな分、随分ととっつきがよく、それなりに楽しんできたが、とはいえ、やはり自分が理解できる範囲の外で音楽が形作られており、鳴っているものを十全に味わえることができていないという点では何ら変わりはない。バッハの後期の鍵盤音楽は、私のような“ながら試聴”をする者を拒絶する。そんな風に感じられ、遠巻きに眺め、ときどき拝聴させていただく存在であった。

そもそもバッハは、複数のメロディがそれぞれ生き物のように動くホモフォニーの音楽であることだけで素人には難しい。ピアノを勉強している人なら、子どもの頃から『インベンション』などに親しんでいて、3声を自然と聴き分ける訓練ができているだろうから、複数の旋律線も自然と頭に入ってくるだろうが、自分にはその作業自体が簡単ではない。「作業」と書いたけれど、3声になると、バスはこう動いている、中声部はこれだと、繰り返し聴きながら、個別に意識を集中して追わないと、然るべく聴こえてこない。『音楽の捧げもの』のように6声などとなると、別次元の存在であり、悲しいかな、聴いてとらえようとしても、果たしてどういう風に聴けばそれを追えるのかがまるでつかめず、呆然とするしかない。

バッハは楽譜を読む作業をしないと理解もできないし、面白くもない部分があるということは、若い頃から感覚的に理解していた。音符をあらかじめ確認し、旋律の動きを少しでも頭に入れたうえで実際の録音を聴けば、なるほど音楽が立体的に聴こえてくる。逆に言えば、作品のごく初歩的な理解を進めるためですら、音符を読む必要が出てくるのがバッハである。他の作曲家の作品だって事情は同じかもしれないが、モーツァルトベートーヴェンマーラーならば、追える旋律を追うだけで、素人リスナーの感情は容易に音楽につかまってしまう。バッハだと、そうなるとは限らない。

鳴っている音を拾うことすら満足にできないのだから、複数の旋律の動きに厳格なルールを適用するカノンなどの対位法作品を聴くのは、悲しいかな、はるかかなたのお星様を眺めているようなものだ。ぼんやりと、自分に見えるものだけが見えている。そこに宇宙を見るようなめくるめくような感覚を覚えるときにはバッハの音楽に引き込まれる思いがするが、自身の無力が嫌になることだってある。

それでも、何故かバッハを聴きたくなる。とくに4月に2ヶ月の入院を伴う手術をして以来、バッハ、とくに鍵盤曲を聴くことがとても多い。退院した後にCDプレイヤーを新調したこともあり、ここしばらくCDをかけ続けているのだけれど、我が家に数枚づつある『ゴルトベルク変奏曲』と『フーガの技法』などの盤を、とっかえひっかえプレイヤーのトレイに載せる機会が増えた。

そうすると、他のいくつかの演奏家とともに、どうしてもグールドの演奏が心に刺さり、本棚から宮澤淳一さんのグールド論を出してきて部分的に読み直すことをしたり、今まで無視していたCDのライナーノーツを虫眼鏡を取り出して一所懸命に拾い読みしたりすることになった。そこで音楽を聴く楽しみは自然と補強され、バッハの音楽が少し近づいてくる気がする。とことん突き詰めるなどということは考えずに、自分なりに理解できる範囲で、理解したいことを少しだけ受け取って、あぁなるほどと思ったりする。そんな、バッハをめぐる時間をしばらく過ごしてきた。

そんな、ゆるい情報収集にともなって立ち上がる、ゆっくりとした時間の中で、今まで知らなかった多くの情報に触れて感心したのがジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』という白水社の本だ(素晴らしい翻訳は松村哲哉さん)。

彼の時代には、すでにカノンなど対位法の音楽は時代から取り残されつつある存在で、バッハがそうした当時ですら古くさいとみられはじめていた形式にこだわった人物だったという話は音楽ファンにはよく知られているるはず。以前読んだ音楽エッセイなどには、バッハは田舎にいたから、最新の音楽の最新の流れを理解しておらず、それでひたすら古い様式の音楽しか書かなかったというニュアンスのことが書かれていたが、ゲインズさんの著作を読むと、そうした理解はまるで真実ではないらしい。バッハはフランスを中心に勃興している、いわゆる「ギャラント様式」の存在や意義を知らなかったのではなく、ギャラント様式に意識的な抵抗を試みた人物であった。本書によると、彼はごく若い頃、リューネブルクで勉強をしていた頃に欧州各国で書かれているさまざまなスタイルの譜面を勉強していたし、リュリ、クープランなどフランスのギャラント様式の作曲家の作品に接していた。その後も人生を通じてヴィヴァルディなど当時の最新の人気作家の楽譜を集め、研究を行い、ドイツ国内のギャラント様式の担い手であるテレマンなどとは親交があった。後年、ギャラント様式の代表選手となる息子のカール・フィリップエマヌエル・バッハテレマンが名付け親だ。

当時の音楽メディア(というものが、江戸時代初期に当たる当時のドイツにあったということが驚きだ)では、バッハ賞賛の言質が存在する一方、その音楽に対し、古臭い、衒学趣味であるとする批判がすでに行われていたのだという。『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』の中では、聖トーマス教会でオルガニストをバッハから引き継いだヨハン・アダム・シャイベが残した『批評的音楽家』誌に掲載されたバッハ批評の一部が次のように紹介されている。

楽曲を作る際、親しみやすさをもっと重視し、仰々しく混乱した音楽様式を用いず、過度の技巧を弄してあっ曲の自然な美しさを奪うようなことをやめれば、バッハはあらゆる国々の人々から賞賛を受けるであろう。……バッハは、装飾を加えるにしても、ちょっとした優しい表情をつけるにしても、すべてを音符のみで表現しようとする。そのためハーモニーの美しさが聞き取れないばかりか、メロディーを覆いつくしてしまう。すべての声部が常に絡み合い、しかもどの声部も込み入った作りになっているため、何が主旋律なのかさっぱり判別がつかない。……あまりの仰々しさゆえに、彼の音楽は自然さと気品を欠き、人為的で重苦しいものとなる。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P224)

バッハはそれらの批判を認識しつつ、新しい様式の隆盛を知悉しつつ我が道を歩いたということのようなのだ。

しかしバッハは、そうした楽曲を研究し自作に取り入れただけでなく、多大な「影響」を受けた。ヘンデルテレマンのような同時代の作曲家たちは、ある特定の音楽様式の範囲内で、その分野を代表するような最高の作品を作るという野心を抱いていたが、彼らとは違い、バッハはさまざまな音楽様式を解体したうえで、自由な着想、見事なオーケストレーション、さらには対位法といった自分が得意とする要素や技法の助けを借りて、音楽そのものを根本から再構成したのである。特にヴィヴァルディ作品と出会い、その構成力や旋律美に触れた際には、元の作品のさまざまな要素を利用してより大きな作品を作り上げただけでなく、まったく新たな作品に生まれ変わらせたと言って良いだろう。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P153)

本書は、『音楽の捧げもの』という名曲をめぐるバッハとフリードリッヒ大王の対決をクライマックスに据えて、あたかも二つの旋律を奏でるように両者の人生を交互に語りながら、バッハと、プロイセン国王として後世に名を残すとともにフルート奏者としても知られていたフリードリッヒ大王それぞれが代表する対照的な価値観、世界観をあぶり出していく。著者はアメリカのジャーナリストだが、読み物として面白いだけでなく、巻末には詳細な参考文献リストがあげられており、当時のドイツの政治状況、風土、音楽の社会に持つ意味、バッハとフリードリッヒ大王をめぐる人間関係など学者並みの調査を基に的確な説明が散りばめられているのに感心する。対位法やカノンの説明も具体的になされていて分かりやすい。その内容の厚みに感動といってもよい程の感銘を受けた。繰り返しになるが、翻訳の日本語が実にこなれていて素晴らしい。安い本ではないが、バッハとノンフィクションが好きな人には「ぜひ読んでみてください」と言いたくなる一冊である。


「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王

「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王