ブルックナーの風景(12): ブルックナー・オルガン、墓碑、棺

聖フローリアン修道院のゲストハウスにチェックインをし、旅装をほどくと、すぐその足で聖堂に向かいました。聖堂とは、英語のbasilica をここではそう呼んでいるのですが、ほんとうは何と書けばもっとも不都合がないか、しっくりくるのか、キリスト教の知識がない私にはよく分からないのです。写真で見ていただくと、つまりこの部分です。









修道院全体で人気がない時間帯、夕闇が迫る直前の巨大な聖堂には、人っ子一人いませんでした。聖堂の中央に立って振り返るとブルックナーの弾いたオルガンがありました。このオルガンはアントン・ブルックナーを記念し、1930年代から正式に『ブルックナー・オルガン』という名称を戴いています。





ということは、ブルックナーは、その真下に葬られているのだなと気が付いて、さきほどその脇をすり抜けてきたはずの場所に戻ってみると、墓碑が床に埋め込まれていたのでした。思わず手でその表面を触りました。冷たい石の感触がいまも頭の片隅に残っています。





その翌日、昨日のエントリーでお話ししたように、アメリカ人の合唱団のおまけとしてツアーに参加できた私は、大理石の間などを見学した後、最後に聖堂に案内され、墓碑の真下に安置されているブルックナーの棺を目にすることもできました。










楽家は、その音楽で評価され、愛でられればよいので、別にお墓参りをする必要はないと思います。お墓参りをしなければ分からない真実などどこにもなく、ましてやリンツの教会やウィーンの住居に記念プレートを探して歩くなんてのは酔狂の振る舞いです。つまらない自己満足に過ぎません。

それは自分でもよく分かっているのですが、この場所を死ぬまでに訪問できたことの満足感は大きかった。観光旅行で本当にやりたかったことは、これで終わったかなという感じです。あとは、できたらアフリカのサファリに行ってみたいという子供の頃の夢は残っているのですけれど、そちらは勝手が知れている欧州に行くのに比べてお金もべらぼうにかかりそうだし、現地に行くだけの体力もこれからますます落ちてきそうだし、まあ、果たせぬ夢で終わってちょうどいいぐらいに思っています。

最後に、ツアーの最後に聴かせてもらったミニ・コンサートから、ブルックナーの対位法の先生だったジーモン・ゼヒターの作品をお裾分けします(曲の冒頭が切れてますが、ご容赦く下さい)。ブルックナー・オルガンの雰囲気を味わっていただければ幸いです。
演奏の後、運よくオルガニストに御礼を言うことが出来たのですが、彼によると、ゼヒターの作品にはよいものとそうではないものがあり、その差が激しいけれど、たしかに作品によっては後のブルックナーを髣髴とさせる部分があるとのことです。私はゼヒター作品を聴いたのは生まれて初めてでしたので、すごく得した気分になりました。