ブルックナーの風景(4): アルサー教会

以前、ブルックナーの弟子であるカール・フルビーが彼の師との最後の邂逅の場面を書き記した文章を紹介したことがあります。オルガンの演奏を終えて教会を出てきたブルックナーと偶然に顔を合わせたフルビーが、師の帰り道に同行する際に「交響曲第9番の第4楽章を完成できなかったら、代わりに『テ・デウム』を充ててほしい」と告げられたという話です。



■「さよなら、フルビー君」(2013年5月9日)


この短い一節は心に残ったので、ウィーンに行くのであれば彼らが歩いた場所を確かめたいと考えたのでした。ブルックナーが帰宅した先は、2つ前のエントリーで紹介したヘス小路7番地でしょう。とすれば、先の文章では「私たちはショッテン門のところで別れた。」と訳しましたが、ショッテントールからブルックナーの住んでいた建物までは目と鼻の先ですから、フルビーはアルサー教会から、ほぼブルックナーの住居にほど近いところまで一緒に歩を進めたことになります。




私は彼らの歩みを逆行し、ショッテントールからアルサー教会へと辿ってみました。グーグルで調べると距離は800メートル少々で、晩年で病身のブルックナーにはそれなりにこたえたのではないでしょうか。教会はもう少し大きなものを想像していたのですが、本物は私が思い描いていた程ではなく、ウィーンの目抜き通りに散らばる巨大教会に比べると、ひどく小ぶりな建物でした。正式には聖フランシスコ修道会三位一体教会と言い、18世紀初頭からアルサーフォアシュタットという地域の地区教会として由緒正しい存在のようです。





今回旅行をするにあたってウェブで調べて初めて知ったのですが、ベートーヴェンの葬儀が行われたのが、このアルサー教会でした。昔、歴史や音楽の教科書でベートーヴェンの葬儀に並ぶ長い人の列を描いた絵を目にしましたが、あの人波の行き先はここだったのですね。教会の入口右には1826年3月29日に葬儀が行われた旨を記す記念プレートがありました。





また、入口をはさんでベートーヴェンのプレートとは反対側には、「フランツ・シューベルトが1928年9月、死の数週間前に献鐘式に合わせて賛美歌『信仰、希望、愛』を書いた」と記されたプレートがありました。ベートーヴェンシューベルトブルックナーと、音楽家に縁のある教会だったのだなと感心しましたが、ウィーンの観光ガイドに掲載されているような場所ではないので、よほどのベートーヴェン好きでもない限り観光客は足を運ばないでしょう。





教会の入口に立つとショッテントールに隣接したヴォティーフ教会の高い尖塔が望めます。アルサー教会前の通りに車の往来は激しく、喧騒が満ちているのでもありました。ここでベートーヴェンシューベルトブルックナーを偲ぶのは、なかなかに想像力が必要です。





いったん、人っ子一人いない教会の中に入ると静寂が押し寄せてきます。写真は撮らなかったのですが、あれ、当代きっての名人だったブルックナーが弾いたオルガンはこんなに小さい、と思いました。ベートーヴェンシューベルトの昔はいざしらず、ブルックナーの頃からはこの内部の風景は変わっていないだろうと思わされます。そうした19世紀末の空間から、21世紀の現在を覗いてみると馬車がコトコトと歩を進めていました。一瞬、まるごと時代が遡ったのかとめまいがするようでした。