hayakarさんへの小さな弔辞

昨晩の11時過ぎに三上さん(id:elmikamino)からメールを頂戴し、文面を見た途端に愕然となった。そんな馬鹿なと心のなかでつぶやき返信を打つと、三上さんからほどなくメールが帰ってきた。9月11日のことで、間違いない事実であるらしいとのこと。三上さんも人づての情報で、正確なことはご存知ない。呆然と虚空をあおぐしかなかった。

hayakarさん(id:hayakar)とは昨年12月に会ったのが最後になった。三上さんが上京された際の新宿は思い出横丁、mmpoloさん(id:mmpolo)を交えてブログ仲間4人の集まりだった。病気で調子が思わしくないという話を聞いて少し心配にはなったが、しかし、あの飄々とした様子に変わりがあるわけではなく、酒も入って自身の身の上話を語る姿は、僕にはいつもの彼にしか見えなかったから、まさかこんなにすぐに会えなくなる日が来るなんて思いもよらなかった。何と言っても、彼はその時集まった面々の中では一番若く、一番たくさんの時間を持っているはずだったのだから。少なくとも僕はそう思い込んでいた。

彼と初めて会ったのは、2008年1月5日。これはブログに書いてあるので忘れようがない。mmpoloさんの話術にはまりながら、あれこれおしゃべりし、笑い、楽しい時間を過ごした様子はhayakarさんがイラストに仕立ててくれた。あの楽しさの感覚は、その前後に催したいくつもの集まりとともに、その後の「シュンポシオン横浜」開催につながっていったような気がする。まだ、今日の時点ではしっかりと「はてな」で存在を主張している『hayakarの日記』の当該エントリーにリンクを貼ってみたい。


■新年会『hayakarの日記』(2008年1月5日)


あの日がhayakarさんと会った初めての日。だとするとリアルの世界での彼との付き合いはそれから数えてわずか3年半。その少し前からメールでやり取りをし始めてから指を折ったとしても4年といったところでしかない。それなのに、やけに長い時間をともにしたような、また、これからも長い時間をともにするような気持ちに自然となっていたのは何故だろう。ブログの不思議。やはり今晩はそう書かせていただきたい。

hayakarさんとはしばらく会ってもいなかったし、ブログもこのところお休みしているのは知っていたが、またしばらくしたら、どこか日の暮れた東京の小さな飲み屋で再開し、ブログ上ではあの鉛筆画にもお目にかかれるものと当たり前のように信じていた者の一人としては、ちと辛い。ちと。

彼のブログの仲間は誰もが知っているとおり、hayakarさんは常に旅に誘われている人だった。彼のエントリーで旅ないし旅への希求をテーマとしたものは多く、稀に鉛筆をカメラに持ちかえての旅行記には印象深いものがいくつもあった。関ヶ原、青森、三上さんを訪ねての北海道行、大子町……。だから、やはり三上さんがお書きになっているとおりで、hayakarさんはラスベガスに行ってしまったのかもしれず、あるいは、彼が行きたがっていた佐田岬に長逗留を決め込んだのかもしれない。タバコをくゆらしながら、昭和の名優になりきって、スカしたアームチェア・トラベラーを演じているのかもしれない。




■アームチェア・トラベラー『hayakarの日記』(2008年9月8日)


彼が戻ってこないのは、長逗留した町のはずれに思いがけず彼の大好物である素敵な店構えの本屋さんがあって、こんなふうに立ち読みに没頭してしまっているからに違いない。そう思うことにする。そう思わないわけにはいかないじゃないか。

■本屋こそ我が聖域『hayakarの日記』(2008年1月12日)




hayakarさん、またいつか会いましょう。