雨の日曜日に野見山暁治の番組を見る

昨日は雨。絶え間ない雨脚の変化を眺めながら、一日屋内にうずくまっていた。夜、mmpoloさんのエントリーで教えていただいたNHK教育テレビの『新日曜美術館』で、野見山暁治さんのステンドグラス制作の様子を記録した映像を見る。東京の新しい地下鉄、副都心線明治神宮前駅に飾られる作品の制作の記録である。野見山さんの、87歳とは到底思えない目の輝き、発散するエネルギーが画面の向こうから放射される。穏やかな、常識人であり、同時に先鋭の洋画家であり続けた人は、その歳でなお、新しい発見を求めて日々の制作にいそしんでいる。いい番組だった。

■うつろうかたちを追いかけて 洋画家・野見山暁治の挑戦 (『新日曜美術館』2008年6月29日)

この方の『四百字のデッサン』は、やはりmmpoloさんに教えていただいて読んだが、日本エッセイスト・クラブ大賞を受賞したというのが頷ける極上の一冊だった。その中には、パリの森有正などがひょいと顔を出し、それが思いがけない人間味を発散していて、『バビロンの流れのほとりにて』や『遙かなノートルダム』の作者とのイメージの乖離にどきりとさせられたりする。この人は絵筆を持っても、文字を書かせても、透徹な目とそれを素直に表現に消化させる技術をお持ちである。点が二物を与えた例か。

四百字のデッサン (河出文庫 の 2-1)

四百字のデッサン (河出文庫 の 2-1)


『三上のブログ』には「きれいに忘れることも大事だと思う」と書かれていた。記録と記憶に関して膨大なエントリーをお書きになっている三上さんだが、これまで「忘れること」に正面から言及したのを読んだ覚えがない。

■きれいに忘れること(『三上のブログ』2008年6月29日)

野見山さんも三上さんも、人間も自然も常に変化しひとつところにとどまっていないことを穏やかに指摘する。まったく違う方向から発せられた異なる音がきれいに響き合った。そんな雨の一日。