聖地再訪

昨日の土曜日、湘南の海を愛でながら茅ヶ崎開高健記念館までサイクリングをしてきた。3月に訪れたばかりだが、ふと開高先生に触れたくなって思い立った瞬間に足がそちらに向いた。自転車で1時間で到達できる距離にこういう場所があるのは、ファンとしてはありがたい。

一月ほど前に読んだ『大江健三郎 作家自身を語る』のなかで、大江さんは開高さんのことを「レトリックの匠とでもいうべき」という枕詞で呼んでいた。たぶんにそれは褒め言葉であると同時に蔑視のまなざしも含まれてるはずで、要は「開高なんて言葉遊びだけだ」という本心があからさまに透けて見える。先週読んだ、ある編集者の文章には、江藤淳の担当になって挨拶を初めてしたときに「どんなのを読んでいるの?」と訊かれたので「開高健さんなどを」と答えたら、「あんな下品な食べ物の話がいいんですか」と冷たく突き放されたエピソードが紹介されていた。

どうもあの人達の関係は裏と表があってややこしく、俺が一番みたいな匂いがぷんぷんして嫌らしいが、それはさておき、「開高なんてレトリックだけ」という批判が存在するのはよく分かるし、おそらく間違っていないのだろうと思う。僕自身、「開高なんて」という気分の谷間を経ての信者である。しかし、俳句の愛好者が死滅しないのと同様、開高文学はレトリックの力だけで生き残るはずだ。

記念館を訪れて何が嬉しいかといえば、原稿に触れることができることだ。『夏の闇』や『アカデミア・メランコリア』の最初の一枚、『もっと遠く』の最後の一枚など、涎が出そうな手書き原稿が飾られている。何度読んだかしれない『夏の闇』の冒頭が、この世に胚胎した瞬間のかたちでそこにある。時間が止まっている。作家が手でつづった生原稿の、その部分を目にするたびに、あの活字を手書きで書いているという倒錯した思いと、これが始まりなのだという理性的な声とが心の中に湧き起こる。

開高記念館は資産は茅ヶ崎市がお金を出して管理し、運営はNPO法人開高健記念会」が行っていると昨日伺った。その主要な財源は、その著作の売り上げから得られる印税だそうな。遺族は印税のすべてを記念館に寄付しており、職員の方は皆ボランティアである。その話を聞いて、つい最近出たセンセの“最後の新刊”である『一言半句の戦場』を帰りがけに買い求めた。3,360円也。館は入場料無料で、年に2回の企画展も開いている。これくらいの貢献をしなければ罰が当たるというものだ。