栂池高原-白馬大池-白馬岳-蓮華温泉(3)

【2日目】

白馬乗鞍岳を超えて白馬大池

久しぶりに本格的な山に行くことになり、事前準備のために情報を収集しようとネットを検索してみると、登山愛好家が綴っている質の高い山行記録のブログが山ほどある。ブログを数年書いていて、さらにときにはこうやって山の話題も織り交ぜているというのに、そんな事実をまるで知らなかったのは、ワタクシがどんくさい証拠であるだけかもしれないが、しかしそれにしても、同じブログといっても、意図、関心の持ち方が少しズレると、そのほんの少しの位相のズレによってブロガー同士は知り合うことがないのが、あらためて面白いと思う。

ところがいったん知ってしまうと、検索の糸をたぐって出てくる出てくる、かなりの量の山ブログ。いまさら、白馬岳登山の話を書く意味合いなんて、本人の満足を満たす以上のものはないのである。と書いてみて、ほんとにそうかとあらためて考える。それは、日本に1億人以上の人間がいる上にお前が生きてる意味はないと言われたようにも感じられるからだ。ブログ書きには、本質的にそうした微妙さがつきまとう。それは無駄の上塗りのようで、ブログの価値に直接つながっているように感じられる。ここではこれ以上はつっこまないが。

というわけで、栂池ヒュッテを後にして山道に分け入るのである。標高1800メートルから始める登山はやはり楽だ。普通ならじっとがまんをしなければならない、いわゆる“アプローチ”をはしょって、すでに涼しさが支配する地点から歩き始めることができるのは、体力のない中年にとってはありがたい。しばし、笹と針葉樹林の森を黙々と歩く。雲は多く、10キロ以上先にある白馬岳山頂やそこに至る尾根道は隠れて見えない。




この道、ブログによっては“急登”などと書かれているが、道はつづら折りで急というにはまったく当たらない。これで急なら、丹沢大山ですら急登の連続である。ブログは貴重な情報の宝庫だが、主観的な表現はどこまで信じてよいのか、判断は実に難しい。「辛い」「楽な」「危ない」「急な」「いい」「悪い」といった表現は、書き手の体力、感性を知らない限り常に話半分程度に受け取るに限る。したがって、ここに書いてあることも例外ではないわけだが。



1時間半ほどで傾斜が緩くなり、天狗原に登りつく。美しい湿原の上にこれから登る白馬乗鞍岳の山頂付近が間断なく通り過ぎる雲を通して目にすることができる。




乗鞍岳への道は、安山岩の大きな石を、飛び石伝いに歩くように登っていく。ここについても、まるで岩登りであるかのように表現しているブログがあるが、それはさすがに大袈裟に過ぎると思う。傾斜もそれなりにあり、下りには辛い道だと思うが、上りは言うほどではない。雪田の左端を登山路は登っていく。






その最上部で、雪田の上を通過する。ただし、たいした距離ではなく、我々が歩いたときにはせいぜい30〜40メートル程度。歩きやすく、危さを感じることはなかった。この辺りの様子は季節によっても、年によってもかなり様子は違うだろう。



雪田を超えると、もうそこは乗鞍岳の山頂の一角である。先行する登山者が広がってきた青空に向かって歩いてゆく。




這松の海のような平らな白馬乗鞍岳山頂。コンクリートで固めた背の高いケルンがかすかに見える。




乗鞍岳山頂を過ぎると、緩い傾斜の下に白馬大池が見えてくる。かなりの規模の山上湖に、赤い白馬大池山荘、残雪に青空。一瞥で魅惑される光景である。石だらけの道は歩きづらい。ゆっくりと歩を進める。






栂池から白馬大池までおよそ3時間半の行程だ。