岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』


もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』は、いま本屋さんに行くと必ず人目に触れる場所に並べられており、どうやら相当売れているらしい。舞台は東京の進学校野球部。練習に取り組む部員もまばらな万年負けチームの女子マネージャーが、そのチームを甲子園に連れて行こうと一念発起し、たまたま出会ったドラッカーの著作と仲間の協力に導かれて夢の甲子園を勝ち取るというストーリーのドラッカー解説本である。

この本のよいところは書き手の熱意と気の利いた仕掛けとが共存していることだ。著者の後書きによると、経営学などまるで知らない著者自身がドラッカーを読んで感激したのが、この小説を書こうと考えた出発点だという。物語が始まるためには書くための熱意が必要だし、熱のない文章は人を説得することはできないのだとすれば、この作品の成功の理由はけっきょくそこに尽きると言ってよいのかもしれない。仕掛けのすばらしさという意味では、女子マネージャーが監督役を務めてチームを引っ張る、すなわち英語でいえば野球の監督を意味するマネージャーにマネージャーがなるという、だじゃれ風着想のおもしろさには感心してしまう。マンガ風イラストの表紙や、タイトルの妙など、売れる商品をつくる工夫はすばらしい。

それにドラッカーの解説書として、この本はとてもよくできている部分がある。ドラッカーの読解の問題として目から鱗が落ちる気がした部分があって、それはオフィシャルにはマネジャー(監督)である教師がその器ではなく、実体的には野球理論に長けた、ドラッカーのいう「専門家」であって、本当のマネジャーは女子マネージャーである自分だと主人公が自覚する部分である。それによって彼女によるマネジメントの車輪が回り出すという展開が用意されている。この読み替えは僕の直感では出来ないところだと思い、「なるほど、なるほど」と唸ってしまったのである。

たいへんよく分かったのはドラッカーが青春野球小説に敷衍できる内実を秘めているという事実だ。感動の青春小説とドラッカーのビジネス書は、この本が示したように、目標を管理するだとか、成長には準備が必要だなどといったメッセージでつなぐことができるのである。「ドラッカーって宗教っぽい」と思うことはあっても、「ドラッカーは青春小説だ」とまではとても思いが至らなかったから、これには不意を打たれた。経営学の大家のベストセラーは、バイブルとしておしいただくことはできても、青春小説になるかといえば、そうはいかない。マイケル・ポーターの『競争の戦略』やクリステンセンの『イノベーションのジレンマ』はなりそうにない(ひねたビジネス小説にはなるかもしれないが)。トム・ピーターズはそれよりも可能性はありそうだが、やはりぴったりとはいきそうにない。であれば、ある種の青春小説だとか、その手のハリウッド映画は一種の宗教かと三段論法は示唆するのだが、どうやらそうらしい。

作品の美点を中心に紹介したが、ダメダメ野球部がマネジメントの力のみで甲子園に行っちゃうという筋書きの非現実さと文章のつまらなさは我慢しなければならない。それができない読者には、これは糞な本だ。要は、ドラッカーの言うとおりにしたから(あるいはドラッカーが言うことをバッチリ解釈できたから)主人公の女子マネージャーは成功しました、メデタシメデタシと書いてあるわけで、あらゆる理論書の解釈・適用が難しいことを含めて、現実が誰にとってもそんなに簡単ではないのは言うまでもない。もう少しリアルな筋立てを想像すれば、ダメダメ野球部は十中八九は東京都の代表にはなれない。この本を読みながら、昨年まで3年間、勉強もせずに野球ばかりをやっていた次男のことが頭に離れなかった。リアルな世界では、「甲子園にチームを連れて行く」と考えたところで、ドラッカーのいうところの目標設定の点でこのマネージャーは大きな間違いをしたことになるだろう。本人最後の夏、1回戦で敗退した子供のチームの目標は、たしか3回戦進出だったように覚えている。