卓球、野球、男子百メートル

昨日は昼過ぎからオリンピック放送三昧。家事をしたり、メールを打ったりしながらの「ながら視聴」だったが、久しぶりにテレビをおなかいっぱい見た。

思わず引き込まれたのは卓球の日本男女の戦い。まるで興味がないはずのスポーツだが、一進一退のポイントの取り合いは見ているだけなのに息が詰まりそうになる。女子は3試合先勝の団体戦を3対2で勝って3位決定戦の切符を手に入れ、一方の男子は3対2で敗れて決勝戦への道をたたれたが、結果を云々する以上に見ていて感じ入るものがあった。日本も、対戦した香港、ドイツも、連続ポイントを取られて引き離されそうになり、これで試合の流れが見えたかなと思うと驚異の挽回を果たす。「折れない心」という言葉が浮かび驚嘆の思いで画面に引き寄せられた。

個人でとびきりの印象に残ったのは、女子の平野選手。得点をするたびに大きな声をあげるところまでは想像の範囲だが、次のプレーに移るまでの間、「どうだ!」と言わんばかりに実力では格上の相手相手を睨みつけ続けるのである。「外国」に対してあれほど臆しない姿勢を強調する日本人は珍しいと思った。日本人にとって外国は何世代もの昔から強いもの、かなわないものの象徴として平均的日本人の心象の中に居座り続けている。そうではない人々も常にいて、その人たちが外国に開いていかなければここまで成長することのなかった日本の国を先導していったのだろうが、おそらく人口比ではおそらく0.1%以下、もしかしたら0.01%だろう。あたしゃ、まなじりを決した幕末の志士か何かを想像したよ。

野球は韓国戦。前日の杉内に続き、和田が好投したのは一ホークスファンとしては実に喜ばしい限りだが、チームに対しては相変わらず勝負強さにかける展開にもどかしさが募る。小柄な平野さんとは逆で、どうもスター選手軍団は状況に飲まれている雰囲気である。

昨日の白眉は午後11時半から行われた陸上の男子百メートル決勝。ウサイン・ボルトは一人異次元の走りだった。中盤から一人抜け出した後の最後の20メートルは明らかに流し気味で、横を見て、両手を広げての余裕のゴール。その結果が自身が出したばかりの世界記録を0秒03上回る夢の9秒6代である。一緒に走ったアサファ・パウエル、昨年の世界選手権を制したタイソン・ゲイはおろか、歴代のチャンピオンであるモーリス・グリーンも、カール・ルイスも、あらゆる猛者をまるで子供あしらいするような余裕のゴールインは衝撃的と言ってよい光景だった。水泳のフェルプスとともに北京はボルトの大会として世界では記憶されるはずだ。日本では別かもしれないが。