妙本寺の海棠


4月に生まれて初めて妙本寺を訪れた。鎌倉の古寺で、たいそう立派な本堂がある寺だが、円覚寺長谷寺のような有名寺院に比べると、それほど知られているとは言えない。鎌倉駅からものの10分も離れていないのに、鶴岡八幡宮の方面に向かう人の波が嘘のよう。しかし読書好きであれば、小林秀雄の珠玉のエッセイ『中原中也の思い出』に登場する場所、小林秀雄中原中也が一緒に見上げた海棠の木があったお寺といえば合点がいく人が少なくないはずだ。こう書いたら、あらためてその文章を読みたくなった。冒頭の部分を引いてみる。

鎌倉比企ヶ谷妙法寺境内に、街道の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎日のお花見を欠かしたことがなかったが、千年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切り株を見に行くまで、何だか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になくみごとなものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目のように細かく別れて行く梢の末々まで、極度の注意力をもって、とでも言いたげに、繊細な花をつけられるだけつけていた。

今、その境内には二人が目にしたのとは異なる新しい世代の海棠が、やはり極度の注意力をもって、狂気を引き起こしそうな色の世界を演出していた。




「なんでこんな有名な話があるお寺なのに知られてないんだろうねえ」と女房に言ったら、「そんな話知っている人なんて、そんなにいないんじゃない」というドツボに冷徹な答えが返ってきた。反論を考えた。「小林秀雄を知らない人は多いかもしれないが、小林秀雄を読んでいる人もまた少なくないはずである。妙本寺の海棠が有名であり続ける程度には」と言おうとして、実際にそんな話を知っている人が、あの境内に何人いたのだろうと海棠を見上げていた人々の様子を思い出しながら考えた。

ふと思い立って、ウィキペディアに言ってみた。海棠に関する記述も、『中原中也の思い出』に関する記述も、一言もなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E6%9C%AC%E5%AF%BA


「猫とアヒルが力を合わせないとなあ」とつぶやいたら、ダイニングテーブルの向かいにでれーっと座っていた末の息子が「猫とアヒルが力を合わせたら、何ができるんだろ」とつぶやき返した。
本堂の軒下には猫が背中を丸めて座っていたのだったが。