吉田秀和さんの番組を見る

昨日午後10時から放送された吉田秀和さんの特集番組を見た。何よりもとてもお元気そうなお姿を見て長年のファンとしてはほっとした。94歳には見えないですよ、と思った。それがいちばん嬉しかったかな。


僕は有名人を追いかける趣味はないが、会ってみたいと若い頃思っていたのは開高健植村直己吉田秀和の三人だった。吉田さんを音楽会でお見かけすることは何度かあったが、もちろんお声をかけるようなことはしたことがない。でも一度ご自宅に伺ってみたいものだとそんな夢のようなことを考えていた。昨晩の放送には、その夢をバーチャルに実現してくれたという思いがする。やはり吉田さんはこんなお宅に住んでいらっしゃったんだなと思った。それははじめて見る映像だが、漠然なりと想像していたとおりの佇まいで、そのことがなんだか嬉しかった。


それにしても、ご自宅の映像で想像を超えていて驚かされたのが、音響機器を前に吉田さんが音楽を聴く姿、そこに映し出されたステレオのカジュアルさだった。スピーカーはトールボーイ型でたぶんB&Wだろうか。オーディオマニアが馬鹿にするような普及品なのだ。アンプもプレイヤーもあまりに普通のもので、それらが置いている部屋も普通の和室である。そのことに嬉しくなった。まるで吉田さんのお人柄、文章の気品を現すようなさりげなさではないかと思った。


個人的に、もう一つ見てよかったと思ったことがある。こちらはごく個人的な事情に絡んだ感想なのだが、このブログで去年の冬に小林秀雄の「疾走するかなしみ」を批判したとき(「疾走するかなしみ」2006年11月13日)、僕は吉田秀和さんを引き合いに出して、ひどく生意気には違いないが小林のモーツァルト論は浅いと書いた。

吉田さんは小林さんの『モオツァルト』については数多くを語っておらず、彼の論文の中で「小林秀雄さんのすばらしい『モオツァルト』」といった感じの言い方しかしていません。が、人格者の吉田さんは小林さんの批判はそれとはしないものの、あの膨大なモーツァルト関係の著作は、結果的には間違いなく小林さんの『モオツァルト』へのアンチテーゼだと僕は思います。


だが、このことは少々心の中でひっかかっていたのだ。というのは、実は吉田さんご自身は小林秀雄さんのことを書いた小さなエッセイの中で、『モオツァルト』をべた褒めしていたからだ。うろ覚えだが、戦後、『モオツァルト』を最初に読んだときには大きな啓示だったと書いていらしたように思うし、ある知人が『モオツァルト』を馬鹿にするのを聞いて、その時に反論しなかったばかりにその後しばらく人嫌いに陥ったとまで書いていたはず。僕はそのことを知っていながら、自分のブログで上記のようなことを文字にし、やはり筆が滑ったかも知れないと内心冷や汗をかいていた。ご本人が読んだら笑われるような誤解かもしれないと思いつつ。


ところが、昨日のインタビューで吉田さんは『モオツァルト』と小林さんをはっきりと批判していた。自分ならもっと書けると思ったと語っていた。小林さんの『モォツァルト』は音楽的とは言えないとも。あぁ、やっぱりね、と思った。そして、自分が書いた文章を思い出して正直安心をした。この部分、吉田さんの公的な発言として貴重な資料になったのではないだろうか。