井川慶の直面している現実とアメリカのビジネスの厳しさ

週末の午前中、外出しないときはたいがいNHKの大リーグ放送をつけっぱなしにしている。今日はヤンキース対アスレチックスのゲームで、井川がマイナーから上がってきて初めての先発だった。3回ツーアウトまではランナーを一人も出さないピッチングだったのが、9番のケンドールにツーアウトを取った後に高めに浮いた球をレフト線ぎりぎりにホームランを打たれ、次のスチュアートにはセンターに連続ホームラン。動揺はあからさまでその次のバッター二人をフォアボールで出すなど急にぎくしゃくとし始めた。6回にはジョンソンにヤンキースタジアム右翼の上段席まで飛ぶツーランホームランを打たれ、4失点で降板。周囲が再スタートのマウンドを注視する中、なかなか厳しい結果となった。


井川については、ヤンキースへの入団が決まった直後にテレビでインタビューされているのを見たときにちょっと心配になった。というのは、彼が「ヤンキースもタイガースと同じく熱烈なファンがいるチームと聞いているので、やりがいがある」といった内容のコメントをしていたからだ。松井が初年度に地元メディアからこっぴどく批判されて以降、日本でも「ニューヨークは厳しい」という知識はかなり広まっていると思っていたが、井川がそうであったように、松井稼頭央も、まだキャンプが始まる前、ニューヨークに着いた頃の話だが、「こいつ分かってねーんじゃない」と言いたくなるような脳天気な雰囲気を漂わせていた。まあ、日本でトップの地位にいた選手にしてみれば、甘く見ているというわけではないにせよ、外国のトップリーグで仕事をする恐ろしさはなかなかやってみないと分からないということなのだと思う。


新庄が数年の大リーグとマイナーリーグの生活を終えて日本に帰ってきた直後に、お笑い番組に出ているのを偶然テレビで見たとき、彼はスタジオの芸人さんたちの質問に答えてあれこれとしゃべっていたのだが、「アメリカはたいへんですよ」と答えたときの眼は、まるで笑っていなかった。たぶんスタジオにいる人たちに新庄の思いは分からないだろうなと思った。


僕がニューヨークに駐在してCATVやラジオで毎晩ヤンキースの試合を見聞きしていたのは伊良部がやってきた頃で、いや、正確に言うと伊良部がやってきたのを契機にして真剣にヤンキースの試合を見始めたのだが、彼が褒められるものも、ぼこぼこに叩かれるものも、ニューヨークタイムズ、ニューヨークポスト、ニューヨークデイリーニューズの伊良部記事はほとんど全部読んでいたから、彼の地の厳しさが生半可ではないのは少し分かる。けっきょく一度しかいかなかったが、シェイスタジアムにメッツの試合を見に行ったときには吉井が先発していて、我々家族が遅れて着いたときにはすでに初回に5点を取られた後だった。周囲の観客から大声の容赦のないブーが盛大に飛んでいた。


日本の野球ファンがひいきチームの選手を家族の一員のような溢れる愛の眼差しで見ているのに対し、ニューヨークの野球ファンは株主さんが会社の業績を注視する眼差しで接してくる。成績を上げれば褒めてくれるが、ダメだとクビだ。あれはたまらないなと思った。井川が阪神ヤンキースもファンが熱いと言ったとき、彼の頭の中には暖かい家族の励ましのようなファンの歓声しかなかったのではないかとちょっと思ったのだ。実利という面では一銭の得にもならないのに血道を上げてチームを応援するスポーツファンの心情には、彼にとっての何かの価値のあり方をそこに投影している部分がある。日本はそれが家族につながっており、ニューヨークでは、よく分からないが企業と経営者や株主に近い契約関係が前提にあるのではないかと思う。アメリカではどこでもそうなのだろうか。ニューヨークは特別なのだろうか。よく分からない。


いま、井川がチーム、ファン、メディアの厳しい視線の中で何を思っているか分からないが、たいへんだろうなと思う。この谷を乗り越えたのちの彼の活躍にぜひとも期待したい。その時、職場がまだヤンキースかどうかは知るよしもないが、ヤンキースで投げるか否かはあまり重要なことではないはずだ。