褒める組織

井川がまたぱっとしないピッチングをしたようだ。ニューヨークのタブロイド紙の記事が棘のあるものになってきた。「伊良部がいい思い出に見える」という言い方があったそうで、まことに品がないが、高額の報酬を得てやってきた以上こうした嘲罵はニューヨークの掟のようなもの。同時にこれは組織の外から突きつけられた最後通牒に近いメッセージである。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200707/at00013916.html


井川はいま野球が楽しくないだろうなと思う。調子がよいときの仕事は、それがどんなにつまらないものであっても楽しい。そうではないときの仕事は辛い。調子がよいとよい結果が生まれ、それによってお客さんや仲間との間に信頼が生まれる。信頼を得て、褒められれば楽しい。好循環が生まれる。


末の息子を見ていてもそれは思う。野球好きの息子は中学に入学したときに、いわゆる成長痛と呼ばれているものだと思うが、腕の調子がよくなく、診察をしてもらったスポーツ専門医に「今は投げるのは駄目、野球は駄目」と言われてしぶしぶ中学3年間を陸上部で過ごした。そこで陸上の楽しさを本人が知ったのはそれ自体僥倖だったのだが、高校に入学し、満を持すという気持ちで始めた野球部生活。中学でプレイしていない“素人”なので、守備はできず、小学生の頃は自慢だったバッティングも忘れてしまい、要はいちばんのへたくそなのだが、それでも先輩たちがよいところを見つけて褒めてくれる。それをバネにがんばってついていく。見ていて気持ちのいいクラブだ。


一回戦を延長十四回の末に勝った日、意気揚々と帰宅して開口一番「今日、初めて野球の面白さが分かったよ」と語った息子がこうも言っていてそれに驚いた。

「今日よく分かった。高校野球はベンチの声が大きい方が勝つんだよ」

3歳からの幼児期をアメリカで過ごした末の息子は、英語はとうに忘れてしまったが、兄弟の中で考え方はもっともアメリカの影響を受けている。団体生活は好きじゃない、できない。考え方は合理的で精神論に対しては斜に構える。それがたたって自分が周囲から浮いてしまうことが分かると、組織の中でおとなしく意見を主張しないことで生きているようなやつだ。封建的な中学の野球部では続かなかっただろうことは本人がいちばんよく知っている。その息子が「ベンチの声が大きい方が勝つ」と言ったのには驚いた。褒める組織ではイデオロギーも簡単に浸透する。ベンチ要員の息子は「もう声でねえ」というほどに声をからして応援したようだ。


息子のチームは二回戦も勝ち、OBが「覚えていない」という三回戦に駒を進めた。相手は昨年の春、甲子園の決勝戦を21対0で勝って全国優勝したメンバーが6人残っているという第一シードの超強豪校。最初の試合では、どう見ても息子の高校よりも上手なチームを相手に二人の投手で完全試合をやってのけ、一年生の四番バッターが目の覚めるようなホームランを打っていた。プロが注目する選手のいる内野陣の球回しはそれをみているだけで大方の高校チームでは勝ち目がないのが分かる。金曜日の試合は応援に行けないが、30対0で負けても楽しんで思い出に残る試合をしてきてほしいものだ。