訓練しないと歩くことすらできない


『三上のブログ』で二度目になる映画のエキストラ募集がお知らせされている。三上さんの大学構内でロケがあり、“「大学構内を歩く学生、一般人」100名”が必要なのだという。

■小泉徳宏監督新作映画『ガチボーイ』エキストラ募集続報(『三上のブログ』2007年7月15日)


僕はあまり熱心に映画を見るタイプではないし、映画に対するうんちくは皆無だと言ってよい。しかし、“ロケ”という言葉によってごく小さな思い出が起動した。思い出と名付けるのもはばかられるほどの、ごく小さな人生の一こまだが。


一つは銀座一丁目界隈でのそれ。数年前。寒い夕暮れ時だった。夕暮れといっても、もう夜の気配がしっかりと世界を包み込んでしまったような時間帯で、そんな時刻に繁華街を歩いていたのは会社からの帰り道に近くの図書館に寄ったからではなかったかと思う。思い出といっても、ここで紹介するのがしらけるほどの出来事だ。歩道伝いに有楽町方面に向かって銀座特有の細い通りの一つを横切ったとき、若い男の声が思いも寄らない近い場所から僕に降ってきた。

「お父さん、そこ歩かれると邪魔なんですけど」

“お父さん?”“邪魔?” 思わず立ち止まって声の方に目を向けると、ラフなジャンパー姿の若い男女の集団があり、カメラやマイクロフォンが目に入った。ぼんやりとオレンジ色の光を投げかける街灯の下で何人かの目がこちらを向いていた。何かのロケの最中に僕がその背景に飛び込んでしまったらしかった。


ただそれだけの思い出。転職後の屈託を抱えた時期だったと思う。コートに身を包んで、帰り道を歩く自分の心にあった具体的な思いはどこかに忘れてきてしまったが、楽しげなものではなかったはずだ。僕は他人から「お父さん」などと呼びかけられた経験がなく、またそれがある種の叱責の表現だっただけに妙に応えた。その一言は自分の中年を意識しろという世間の号令のように聞こえた。「そうか、人から見ると俺は“銀座の片隅を歩く勤め人のお父さん”なんだ」と妙な新鮮さと憂鬱さ、不快さの混じった感覚がやってきた。あれは何のロケだったのだろう。テレビだろうか。立ち止まって眺める人もいない、それ自体、何かうら寂しいロケだった。


もう一つの思い出は、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港につながる。銀座一丁目の出来事をさかのぼる数年前のこと。ニューヨーク郊外の借家から米国内の出張のために空港に入ったときのことだ。大きな吹き抜けの空港建物に入り、群衆の間を縫うように少し歩いたところで、トランシーバーを手にした、白いポロシャツとパンツ姿の敏捷そうな白人女性に話しかけられた。

「たいへん申し訳ないのですが、今撮影をやっていまして、できましたらこちらの方をお通りいただけないでしょうか」


その言葉で辺りを見回して初めて事情が分かったのだが、その吹き抜けになっている大きなホールを埋めた群衆は、全員が撮影のために仕事でかり出された人たちだったのだ。そんななかに僕は一人のこのこといつもの仕事鞄とスーツのケースを肩にかけて入り込んでいたらしい。


女性の人あしらいが上手で、こちらは恐縮するしかなかった。「知らなかったもので、ごめんなさい」と僕は率直に謝ってその場を離れた。搭乗までに時間のあったので、吹き抜けの2階からロケの続きを見下ろすことにした。すぐ下で広げられる大きな空間をいっぱいに使ったロケは、その俯瞰するその位置から眺めると全体の様子がよく分かった。ホールのある場所に主役とおぼしき男女がいる。その背景をなす歩行者が数十人の役者によって演じられていたのだ。ホールのあちこち、3方から群衆役は歩き始める。それぞれの位置に合図を出す係がおり、歩行者役が列をなしている。指図と同時に主役の前後を横切るように三方から飛び出した彼らが様々なファッションに身を包んでただ反対方向へと歩いてゆくのだ。出を待つ役者さんの横には大きなハンガーがあり、いくつもの背広や洋服が掛けられている。鞄などの小道具も山積みになっている。


大規模なロケなど見たことがないので、それが映画やテレビのロケとしてどのぐらいの大きさに当たるのか見当もつかない。朝の早い、人のまばらな時間帯ではあったが、日本で空港のような公共機関を使ったロケをするのは準備からしてたいへんな仕事だろうとは思った。そこで繰り広げられる、歩くだけの仕事の手際の良さに目を奪われた。音楽や人声はない。人の歩く靴音が響き、人が歩く心地よいリズムが空港構内を満たしていた。


数分前に、自分がそんな中を荷物を持ってえっちらと歩いていたのを想うとおかしかった。いや、実はそれまでは「いいじゃないか、俺だって歩行者なんだから、わざわざどいてくれと言わなくたって。本物の歩行者なんだから、むしろ自然な感じが出るだろうに」という気持ちもあったのだ。しかし、見下ろすホールで演技する人々の様子を見て、よく分かった。彼らの歩きのきれいなこと。劇場やテレビでドラマを観る視聴者にとっては、そのパーフェクトな歩行を備えた群衆こそが自然でありのままの群衆に映るのだ。僕のような、猫背気味に歩くしょぼくれたアジア人の存在、普通の表情と訓練された経験のない歩き方の人間は、悲しいかな映画のなかでは背景にすらなれないのだ。


こちらは銀座の体験とは違って、気持ちのよい思い出として残っている。あれは何のロケだったのだろう。米国では、その数ヶ月後に空港を舞台にした大がかりなテレビドラマと劇場映画が相前後してあった。どちらかであのときの場面が使われたのかなと思う。