日本の野球放送、アメリカの野球放送

NHKの大リーグ放送を見るときにはだいたい英語のサブチャンネルで見る。僕の英語力はたいしたことがないので、一生懸命に聴いても意味がくみ取れないところもある。不便は不便なのだが、そうしないとどうも大リーグを見ている感じが遠のいてしまうのだ。

一つには日本語放送では日本人選手の話ばかりしているのが鬱陶しいということがある。ほとんどすべての日本人視聴者同様、半分以上は松坂やイチロー、城島らの活躍が見たくてつけているのだから、それでも良いと言えば良いのだが、息子の心配をするお母さんのようなべたべたなコメントの連続には、アメリカの野球を見る醍醐味との間に一定の齟齬を抱えながら楽しむような変な感じがつきまとってしまう。

もう一つには、松井がどうのこうのという日本人一辺倒の話はさておいて、あるいは大リーグの放送か、日本のプロ野球の放送かはさておいて、日本のアナウンサーと野球解説者の掛け合い、解説者のコメントに往々にして滲む日本の社会の暑苦しさ自体がちょっとな、という部分がある。端的に言うと、日本のスポーツ放送につきものの、解説者の上から人を見下すような説教調のコメントが嫌いなのだと言ってよい。

アナウンサーが調子の悪い選手のことを話題に挙げて、解説者に「どこが悪いのでしょうか」と"なぜか"尋ねる。


「城島選手、よくないですねえ。バットが遠回りをしていますね」

「松井選手、右肩の開きが早いですね」

「松坂は良いときに比べると手投げになっている感じですね。下半身がうまく使えてない」


てなコメントが繰り返されるのが日本の典型的な野球放送なのだが、僕はアメリカで野球放送を見る前には野球の放送とはそういうものだという固定観念があったから、まったく気にもならなかった。ところが、アメリカではこの手の技術論はほとんどコメンテーターの口から出てこないということを知った。日本だと、このバッターやピッチャーのどこがいい、どこが悪いという話ばかりが繰り返される。米国では「ノーアウト・ランナーなし」のような状況を説明したり、バッターの最近の成績や今の状況や、チーム自体の状況などについてはぺらぺらとよくしゃべるが、打者や投手のミクロな技術論には立ち入らない傾向があるのだ。

このことを知ってから、振り返って考えてみればなぜ日本の放送は、その手の野球技術をしゃべりたがるのだろうと考えるようになった。だいいち、控えめに見ても見ている人の9割以上は自分がプレイをする参考にプロ野球を見ているわけではない。あなたが高校球児や草野球の選手でもないかぎり、「球離れが早い」だとか、「左肩が突っ込む傾向がある」といった技術論は、参照情報としてはほとんど何の意味も持っていないのだ。

ここには何か日本人や日本の文化をめぐる一定の癖が反映されているのは間違いないと思う。それは何だろう。

肯定的な面を考えると、日本人は一般的に職人芸が好きということが如実に表現されているのではないかと思う。茂木健一郎さんが司会をしているNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』なんて番組が流行るのも同じ理由だろう。そういう一芸に対する尊敬があるが故に、分かろうが分かるまいが、あるいは役に立とうが立つまいが、この種の事を知りたがる。これはむしろ「プロとしての解説者の技術を見る目を楽しむ」ということなのかもしれない。

二つめは否定的な側面だが、やたらと干渉したがる、先輩風を吹かせたがる日本人の傾向が、解説者にああした口を利かせているという点である。これについては説明はまったく不要なはずだ。日本の社会はそういうものだと言ってしまえばそこで終わってしまう。

戦略・戦術というレベルの違いで言えば、戦略よりも戦術、戦術よりも個々の芸や技術に目がいく傾向を反映している点も指摘できるだろう。日本人の視点はミクロの方向に動く。逆に戦略レベルの創造に対しては注目が必ずしも向かわずにおろそかになる。米国の放送だと、誰を使う使わないだとか、誰を補強するだとか、ベンチの監督や、あるいは最も高いところでチームを組み立てるオーナーやGMの視点に立ったような話題が多い。視点がグランドを越えてシーズンを見通すような高いところにあるのだ。これに対して、日本の場合には視点は常に現場、グランドという最も低い場所にある。我々の仕事の現場でも、同じ傾向は多少なりとも現れているように感じられる。

ここまで書いてみて、日本のアナウンサー+解説者コンビが嫌いな理由が自分なりに納得できた。話は簡単で、会社の続きを思い出しちゃうからなんだ。高圧的解説者は過去に出会った口うるさい上司、当たり前のこと聞くなよと言わざるを得ない質問をするアナウンサーには、偉いさんに見え見えのおべっかを使う嫌な野郎だとかがダブるということじゃないのかな。日本でリーマン人生を送っている者としては、野球を見るときぐらい、ああしろ、こうしろというメッセージは聞きたくはない。だから、例えば梨田昌孝さんや与田剛さんのような、ソフトでさわやかな語りの人は聞いていて全然悪くない。

なんだか最近みごとに野球ブログっぽくなってきたな。