私にとっての吉田秀和の先

mmpoloさんが、吉田秀和小林秀雄について書いた最近の文章を紹介していらっしゃる。

■吉田秀和の小林秀雄批判(『mmpoloの日記』2010年6月4日)


僕もかつてブログで何度か取り上げた話題だ。


■疾走するかなしみ(2006年11月13日)
■小林秀雄の断定(2006年11月18日)
■吉田秀和さんの番組を見る(2007年7月2日)
■吉田秀和さんの番組のこと(2007年7月3日)
■NHK「言葉で奏でる音楽〜吉田秀和の軌跡〜」にもうひと言(2007年7月4日)


もう3年以上の前のことなのか、ブログを書き始めてそんなにも経ったのかとあらためて思う。これからは、「もう5年も前のことか」「もう10年も前のことか」と驚く機会がやってくる。そうなればいいなと考えたりもする。10年後にブログから離れていない理由はないし、寿命が尽きていない保証はどこにもない。もし、ブログを続けていたら、その縁で知り合った皆さんとの交流もどこかで続いていて、それが自分にとって人生の糧や楽しみになっているだろうと想像するし、命あっての物種だよなとも思う。だから。

吉田さんの小林批判については、僕にとってはこれらの駄文を書きちらかした際に自分の中ではある程度の納得を得た事柄だし、それに世間的には(クラシック音楽好きには、という意味です)いまさら吉田秀和だ、小林秀雄だなんて、若い世代から見れば年寄りの与太話に聞こえるんじゃないかと思う(オレはまだ全然年寄りの域には到達していない、ただの禿げた中年だけどね)。僕もその先にいる 片山杜秀さんや岡田暁生さんといった人たちに行くべきだと自分自身に対する義務のようにして考えはするのだが、最近はナマの音楽も聴かず、音楽評論もまったく読んでいない。