『アバター』を観た

我が家の男の子二人が『アバター』のレンタルDVDを借りてきた。一緒にテレビの前に寝っ転がりながら3時間。娯楽映画の視聴後に抱きがちな「観なきゃよかった」と思う気持ちは寝っ転がった時点で封印したので、そうは言わない。その代わりに、つまらなかったときには(いや、その反対に面白かったときも)、ブログに感想文を書いて、せいぜいの敵討ちをさせてもらう魂胆で見始めた。

で観た直後に考えた。これを観た多くの人たちはこの「超大作」をどのように受け取ったのだろう。そこで奴国のyahoo!の映画サイトをひらき、どんな感想があるのか、ざっと100件ほどのエントリーを眺めてみた。大々的な宣伝やそれなりの評判に興味をそそられて観たのはよいが、割り切れない、つまらない、と感じる人たちの声が目についた。なんだ、オレの実感はそこで語られている平均的な感想に中に確実に埋もれてしまうじゃないか、と思った。ちょっと安心したのだった。というのは「これは傑作だ」という御仁が大多数だったらヤバイでしょ、と思いながら件のサイトを観に行ったからだ。

ついでに映画が作られた本国のyahoo!にも行ってみた。アメリカではタイタニックの興行記録を塗り替える大ヒットだと聞いていたので驚きはしなかったが、やはり日本での感想に比べると支持する声の比率は圧倒的に高いとみえる。しかし、ストーリー、演技、と要素毎の評価点をよくみると、映像は最高の評価であるA+がずらりと並んでいるのに対し、ストーリーの欄にはBが混じったり、Cが混じったり、それどころかときどきFなんてのもある。けっきょく、映画をしこたま観ている人たちは、日本もアメリカも同じものを観ているのだということはよく分かった。圧倒的なコンピュータグラフィックス、それも史上初の本格的3D上映。そこに寄り添うどこかで観たような筋立てと、つじつまが合わない部分はお客の想像力でカバーしてくれと言わんばかりの強引な展開。この映画の善し悪しに対する判断の違いは、だから映画に何を期待するのかという映画館の如何に修練してしまうと考えてよさそうだ。

筋立てに関して言えば、アメリカの鑑賞者が何人も指摘していた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』との類似性はいやでも意識に上る。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』はインディアンとともに戦うことになった白人の物語だが、『アバター』に出てくるナントカ惑星の現地人は、弓を引けばへんてこな馬にもまたがり、原色の装身具も身につけている。これは誰がどうみても青い縞模様の肌をしたインディアンという風情である。『アバター』の主人公は彼らの仲間となって戦う白人(=地球人)の物語だ。アメリカのネイティブの話をいったん忘れて、もう少し鳥瞰的な視点から見ると、この映画はマジョリティの成員がマイノリティの側についてマジョリティと戦う、あるいは、自身が所属している共同体から離れた主人公が、外側に立つことによって生きる意味や目的をはっきりと自覚し、自分自身を取り戻すという物語である。そう考えると、『ダンス・ウィズ・ウルブス』の存在を指摘するまでもなく、この映画はこれまで作られてきた映画の、ある種の類型をきれいになぞった作品であることに思い至る。評の中にはヴェトナム戦争に言及するものもあったが、誰が観ても『アバター』は単純な反戦厭戦思想を映像化した作品には見えないはずで(それどころか、僕にはこの監督はサドマゾ感覚がおそろしく強く見える)、だからアメリカ人の視聴者で「反戦運動を行うことは共産主義やテロリストに塩を送ることにつながる」というアメリカでは伝統的に支持されている政治感覚をもつ人のなかには「反米思想を描く、アカ映画だ」と憤慨し、「ストーリー」を最低評価の「F」にする人たちが出てくる。日本での評価には、この政治性の軸はなくて、要は娯楽としてよく出来ているか否かだけだが。

ジェームズ・キャメロンの政治思想がどのようなものであるのか僕はよく知らない。僕には『アバター』の戦闘シーンや『タイタニック』の沈没シーンを見ていると「なにもそんなに人が死ぬ場面を一所懸命につくらんでもよかろうに」と胸焼けがするような気分になるのだが、この監督はそういうものをじとーっと見たくて仕方がない人のように感じられる。あらゆる映像に凝らないと気が済まないということがあったとしても、そこを超えて。この人に思想があるとすれば、と書くのはあんなりならば、この人の思想らしきもので特筆すべきは、と書き直すが、けっきょくそこであってそこでしかなく、ストーリーやプロットは政治性をも含めておまけでしかないのかもしれないと思えてくる。

で、そのおまけのようなストーリーだが、内から外に出て普遍的な価値を見出す物語としての『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や『アラビアのロレンス』や、はたまた『悲しき熱帯』を通り越して、僕は『ターザン』を思い出してしまう。登場人物の内面性に関する紋切り型の表現、素晴らしきジャングル、よい白人とわるい白人、みたいな。「これは『ターザン』のパロディであるところの、映像技術の凄さを楽しむための映画です」と作者が言ってくれたら、とてもわかりやすい。一見の価値あり。