ルーラル地域には銃がある

アメリカで住まった地域は幸いにして銃が日常に顔を出すような場所ではなかったので、その種の身の危険にはまったく遭遇せずにすんだが、アメリカでもっとも嫌なことの一つが銃社会という現実である。


歴史が銃の携帯を正当化する論理を生かすし、社会的・地理的条件がそれを許容する。僕はアメリカの広さがアメリカ人に意識に大きな影響を与えていることに感じ入った部分があるが、翻ってみれば、日本の狭さは日本人の意識に同様の影響を与えているのだから、これはおそらく間違いないのだ。隣家が遠い条件で一軒家暮らし。そこに見知らぬ男が現れるというシチュエーションはとても恐い。映画ならば、アクションにもホラーにもなる。東京の都会暮らしでは、それは映画の中にしかない状況だけれど、アメリカは違う。僕はアメリカ人が護身用に銃を一丁、と自然と発想するのが感覚的によく分かるようになった。人気のないところで暮らすのは恐い。


家族5人で暮らしていたニューヨーク郊外から車でナイアガラの滝を見物に行った。片道たしか9時間ぐらいかかったのではないかしら。車を使った最長のお出かけだったが、その途中、ニューヨークの州都オルバニーを通過した。僕は仕事で数度来ており若干の土地勘があったので、途中休憩かたがた家族を州議会の議事堂近辺に案内した。と、モダンな議事堂や州政府の建物が集まる一画で人気のない週末の朝なのに人が出たり入ったりしている出入り口がある。何の催しをやっているのだろうと思って、誰でも入れそうなその大きな入り口をくぐってみた。そこは体育館ぐらいの広さのホールのようになっている場所だった。中にはおびただしい数の普段着姿の白人男性がいる。よく見るとそこに並べられているのは人の数よりも確実に多い銃なのだ。着物の展示即売会、宝石の展示即売会といったノリで銃の展示即売会が開かれていた場面に出くわしたのである。


繰り返しになるが、僕が住んでいたエリアでは銃はほとんど無縁の存在だったので、こうした機会の存在はまったく想像の埒外にあった。銃って、こうやって売られているの、と率直に驚いた。牧歌的な農村風景のまっただ中に存在するニューヨーク州都オルバニーと冷たく鈍色の光を放つ銃の群れ、週末の暖かい陽光に照らされた人気のない街路と銃に群がる短パン姿の白人たちという光景は、よほど自分にとってインパクトが強かったと見えて、もう十年近く前になるのに記憶にとどまっている。