アメリカの中の世界について

アメリカで数年暮らした当初、アメリカ人が「あのイタリア人が」だとか「彼はスウェーデン人だから」などという言い方をするのを聞いて、それはつまりAさんがイタリア系アメリカ人であり、Bさんがスウェーデンアメリカ人であるということが最初分からなかった。「Aさんはイタリア人なんですか」といった受け答えをしていたはずだが、僕がそこで意図していたことはAさんをイタリア人だと言った某氏には通じていなかったはずだ。とんちんかんなやりとりが、とんちんかんだと分かったのは会話の後でだった。


あぁ、そういう言い方をするんだと分かって以降、しかし、今度はアメリカ人は本当にAさんはイタリア人で、Bさんはスウェーデン人であると考えているのではないかと思うようになった。ここで念のために整理をしておくと、つまり国籍の話である。僕の大家さんだったアントリーノさんはイタリア系アメリカ人だったが、奥さん共々英語よりもイタリア語が上手な彼が、イタリア国籍を持っているのか、米国籍なのかはそもそも平均的なアメリカ人の関心の範疇外にあると思われた。アメリカには世界があると、アメリカ人は無意識にというか、それがごく当たり前のことだと考えている。暮らしてみて、アメリカ人がアメリカの外に本当の外国があることを理解できない理由がそれなりに分かる気がした。分かろうとする気もないというか、そういうことを考える枠組みが備わっていないらしいこともそれなりによく分かった。