ケネス・ブラナーの映画『魔笛』を観る

ケネス・ブラナー監督のオペラ映画『魔笛』を観た。たまたまWebをうろうろとしていたら、この作品の視聴記にぶつかり、ちょっと行ってみるかとなった次第。年に2本程度しか映画を観ない人間なので、平均からすると今年最後の映画鑑賞になるはずだ。ちなみに今年のもう一本はお正月に観た『SAYURI』で、これはなかなか面白かった。それからそれに『ヒットラー最後の12日間』というのも観たっけ。ブログに感想文を書かなかったので忘れていたが、ということは『魔笛』はすでに今年の3本目だ。昨年は、吉増剛造を追ったドキュメンタリー『島ノ唄』とトルーマン・カポーティを描いた『カポーティ』だった。たまに映画を観るのはとても楽しい。

魔笛』はクラシック音楽愛好者ならば誰もが知っている超有名演目だから、筋の展開に脳髄が刺激されるのを楽しむ普段の映画鑑賞とは異なるモードで映画館の椅子に沈み込むことになる。よく知った筋立てに如何に映像が挑みかかり、新しい何かを紡ぎ出してくるのか、せっかく金と時間を支出するのだから(って、たったの1800円だけど)、少しのあいだ楽しく夢を見させてくださいとお願いの心境。

これはモーツァルトの『魔笛』を舞台を第一次世界大戦下の前線に設定して映画化を試みた作品である。序曲が始まると、ドイツなどの中部ヨーロッパで見る緑の沃野に塹壕が蛇行する河のように掘られてスクリーンの手前からかなたの地平線まで延々と続いている様がCGで描写される。『西部戦線異状なし』を戯画化した世界。原作では東方の王子である主人公のタミーノは若い兵隊である。大蛇に追われていたタミーノが失神し、もはやこれまでという窮地を「夜の女王」の三人の侍女に助けられる冒頭は、大蛇の代わりに毒ガスがタミーノを襲い、三人の侍女は従軍看護婦風の出で立ちで登場だ。オペラでも「待ってました」とばかりに登場する夜の女王は、なんと走り来る戦車の上に仁王立ちで現れるのだ。

映画の蘊蓄を持たない僕にはケネス・ブラナーという人の人となりや作品のスタイルを知らないので、実際にこの作品に接するまではどんな演出や映像が飛び出すのかまるで想像できなかった。実はもっと渋い作品なのではないかと勝手に思ったりしていたので、漫画チックな映像と筋立てはちょっと意外で、でもそもそも荒唐無稽の『魔笛』を向こうに回すには、こうした「荒唐無稽には荒唐無稽を」という演出はむしろ正統的と言ってよい楽しさだと納得した。

ただ、オペラを映画にする際にときどき感じる「そんなに無理なことをしなくても」という感覚がどうしても頭をもたげてくるのを今回の作品でも禁じ得ない。アリアの途中にやたらと映像を動かしたがるのだ、映画監督は。例えば、このオペラでもっとも有名な夜の女王のアリアなど、娘のパミーナを脅す夜の女王の凄みをあらゆるカット、演出、CGの効果で撮ってやろうとなってしまう。気持ちは分かるけど、そんな風にされるとゆっくりと歌が聴けないという気分になる。何と言ってもオペラでは歌が主人公で、演出は従者なのだ。違うかな。

監督が誰もが知ってる作品を向こうに回して映像で大向こうを唸らせてやろうと考える気持ちはよく分かるが、これは映画だけでなく舞台でも同様で、演出がしゃしゃり出るオペラは結果的に印象に残らないケースが少なくない。ワーグナーがその表現を使って以来、オペラは“総合芸術”であると言われるわけだが、その辺りのバランス感覚が無茶要求されるのが、総合芸術の総合芸術たる所以であるという気がこの映画を観て強くした。音楽に対抗しようと頑張りすぎると、必ずしも全体最適が実現できないのだ。

演出上の設定で興味深かったのは、夜の女王から娘のパミーナを誘拐した極悪非道の男と名指しされた、実は途中からたぐいまれな高僧であることが分かる正義の味方ザラストロを、宗教的指導者ではなく、民衆のリーダーに仕立て上げていた点だ。この映画に出てくるのは僧衣に身をまとうザラストロではなく、ドイツの知的なマイスターで、その城の中に手工業の理想郷を実現しようとしている民主的指導者なのだ。『魔笛』は、当時の民衆芝居のチャンピオンだったシカネーダーの要請により、モーツァルトがオペラ劇場のためではなく、町芝居のために作ったというエンターテイメント的側面と、フリーメーソンの会員だったモーツァルトがその理想を崇め奉る意味を込めたという抹香臭い側面とが混在している作品だが、この映画の設定は後者を洗い流してしまう。ザラストロを、戦争反対で終戦の実現を願っている平和主義の民衆のリーダーとすることによって、この魔笛はお伽話の世界から今日的な政治観までをも包含しようと相当によくばったものとなった。

こうした演出上の基本線があるために、登場人物の歌詞と台詞は微妙に手を入れられている。かなり、と言うべきかも知れない。原作にある「イシスとオシリス」といったエジプト趣味の単語、宗教色の強い表現は当たらずとも遠からずな表現に書き換えられ、エンディングの合唱は徳と真実への礼賛から「平和万歳」に書き換えられている。これらがドイツ語ではなく英語で歌われる。僕も最初戸惑った。

歌い手ではザラストロを演じるルネ・パーペが抜群に格好いい。僕はこの10年ほどのオペラの状況はまるで分からないので、この人がどの程度の評価をドイツで得ているのかについてはまったく知識がないが、実によかった。大柄で、風貌は、なで肩のフィッシャー=ディースカウという感じ。画になるし、声もいい。魔笛はザラストロで決まるオペラだから、この人を連れてきたことがこの映画の最高のヒットだったかもしれない。しかし、ドイツ人に英語で歌わせるなよ、みたいな違和感は最後まで残りました。とくに最後のアリアは絶対にオリジナルの歌詞で聴かせてよと恨みがましく思ったこと。

荒唐無稽対決の大勝負に出たブラナーは、賭に勝ったのだろうか? 観る人の評価は分かれるかも知れない。とくに『魔笛』を好きな人には。ということで気になる方は1800円を握って映画館にぜひどうぞ。


■映画『魔笛』の公式サイト