公開情報の価値

美崎薫さんの連載『Lifelog〜毎日保存したログから見えてくる個性』が4回目を迎え、だんだんと面白くなってきました。テーマは「ローカルにこだわる」。美崎さんは何故あそこまで自分に関する過去の情報こだわるのだろう、というのはずっと謎ですし、このブログを通じて美崎さんにはそれとなく「どーして」と問いかけたり、セミナーで質問したりもしているのですが、ちゃんと教えてくれません。ところが、その思考の一端がさらりと今回の記事の冒頭で紹介されています。

情報というのは差異があるところで価値が出てくるので、広く公開された情報には情報としての価値はあまり見いだしにくいものです。


美崎さんの独特の感性、美意識が見て取れます。「情報というのは差異があるところで価値が出てくる」のはそうだとして、その差異は他の情報と比較した場合の客観的な差異であり、それが人々に与える有益さや感銘につながってくると考えるのが一般的な受け取り方だと思います。あるいは個人にとってみると、現時点で個人が持っている情報と新しく入手した情報の差異に価値があるのだと言ってよいでしょう。

ところが美崎さんは、その以前に、「私」を離れて(あるいはそうすることによってもう一つの「私」に近づくことを目指して)、公開されているか否か、人口に膾炙しているか否かという点にこだわる。そこで差異が、価値が生じると考える。私は、100人中99人に知れている事実だったとしても、最後の一人である私にとって初耳の情報には付加価値がある、その情報を通じて何かが生み出されないとは限らないという風に考えますが、そういう説明とは別のところで美崎さんは世に知られていない情報には価値がある、「広く公開された情報には情報としての価値はあまり見いだしにくい」と感じていらっしゃる。ほんとに感じているかどうかは分からないけれど、そう言ってしまわないと気が済まないところがある。そこが面白い。

想像するにこの連載のタイトルになっている「個性」という言葉が美崎さんの思想を理解する上でのキーワードなのだろうと思います。

やっぱりまだ謎なので、美崎さんの話を聞くのは面白いのです。それにしても、この連載、コメントもトラックバックも不思議なほどにつかないですね。やっぱり、個人ブログじゃないと皆敬遠するんでしょうか。この辺りも面白いです。


■ローカルにこだわる(『Lifelog〜毎日保存したログから見えてくる個性』第4回)