美崎薫さんとモーツァルトの近さ

三上さんが出してきた「美崎さん=疾走するかなしみ=モーツァルト」説はなかなか含蓄があります。美崎さんはメランコリーの人じゃないと思うので、その限りでは当たらないと思うのですが、未開の領域を「疾走」する点ではなるほどそのとおりかもしれません。それに別の意味で美崎さんとモーツァルトの近さを言うことはできるのではないかと思いました。モーツァルトの人物論を脇に置いてモーツァルトの楽譜・演奏ということを考えたのです。


美崎さんが「疾走するかなしみ」をひょいとこのブログに置いていった翌日、僕はモザイク弦楽四重奏団という団体でモーツァルトの三つの弦楽四重奏曲を聴いたのですが、いや、いい演奏でした。モザイク・カルテットという団体はいわゆる古楽器、17世紀なんかの由緒ある古い楽器を使って、その時代の演奏様式を復元しようというこの二、三十年流行のスクールの一派です。ウィーンで活動する団体です。当初この種の演奏様式を取り入れた個人・団体は非常に無理をしていたというか、現代の奏法とは極端に違うことを一生懸命やっているという感じで、成果を聴いてくださいというよりも過程や運動を楽しんでくださいという点が目立ち、少し(いやかなり?)無理があるように聞こえたのですが、モザイクの演奏は古楽器の独自性を持ちながら音楽が自然に流れる。鬱を脱出する際に、CDでこの人達のハイドンばかりを聴いていました。ある意味命の恩人です。


それはともかくとして、美崎さんと三上さんのやりとりに浸っているこの頃、あらためて感じたのは楽譜を頼りに200年前に作られた曲を目の前の演奏家が演奏しているというのは、古典的に確立された想起の手法だなということでした。楽譜は想起のためのモチーフ。SmartCalendarで投影される写真みたいなものですね。そこからどんな意味(=演奏スタイル)を導き出すかは演奏家の技術とオリジナリティに委ねられている。こうしてモーツァルトは200年を隔てても我々の意識の上で昔の人ではなく、今の音楽として存在し続ける。これって、美崎さんが自らの体験の記録で実践しようとしていることと同じですね。


同じ楽譜を使っているのに、想起の仕方(演奏)は、演奏家・団体によってさまざま。その微妙な差異を楽しむのがクラシック鑑賞の醍醐味です。というわけで、100万枚のデータをスライドショーしながら想起を待つ美崎さんとモーツァルトの姿を楽譜の向こうに見つけようとするクラシックの演奏家はお友達という話でした。


ところで、三上先生が学生さんに向かって「美崎さんがSmartCalendar談義をやっているから読んでみて」って書いているわりに『三上のブログ』からのアクセスは少ないなあ。学生さんたち、勉強できる時にしておけよ。