小ささへの感慨

アルファブロガーなる人たちの文章はあまり読まないのだが、finalventさんには信頼できるものを常に感じているので、ときどき思い出したようにだが目にしている。彼のテキストに対して「下手だ」といった罵詈雑言が飛んだりすることがあると、この子は『共同幻想論』などの吉本節は目にもしたことないんだろうなと思い、お気楽なものだなあ、いいなあと苦笑したくなる。その程度にはfinalventさんに対する畏怖の念は持ち続けているし、それ以上に彼の心根の優しさに感じ入ることは少なくない。今回もそうだ。

■もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。(『極東ブログ』2008年6月2日)


極東ブログ』や『finalventの日記』などのコメント欄を見ていると、ようあそこまで付き合うよなと感心するしかない。さすがその辺りがアルファブロガーアルファブロガー足る所以でもあるのだろうなと驚くが、正直なところやり過ぎだろうと思わないではない。だから、お馬鹿なコメントの露出を管理しますという宣言には賛成するばかりだし、それがfinalventさん自身のためではなく(翻っては彼自身のためかもしれないが)、広く読者への影響力をおもんばかってのことと言うところがこの人の倫理観を端的に表していて感じ入るものがある。端緒になった事件に関しては、彼が責任の一端を感じる必要があることだとは僕は思わないが、責任を背負い込むところがこの人の肝で、つまり読者として好き嫌いが分かれるところなんだろうなと思う。ならばもっと早くという気もしないではないけれど、それは言っても仕方がない。

ところでこのfinalvent氏のテキストの後半には梅田さんの『私塾のすすめ』の一節が登場する。例の、この『横浜逍遙亭』や『三上のブログ』などととても似たケースを梅田さんが話題にするところ。長くなるが、『極東ブログ』から引用を含めてまるごと引用する。

関連して、「私塾のすすめ ここから創造が生まれる(齋藤孝梅田望夫)」(参照)で梅田さんはこうブログを勧めていらした。言葉との出会いということで。

 そうそう、そういう言葉をブログなどで公開していくと、そこで、志向性を同じくする人との出会いが生まれると思うんですね。志向性を同じくする人と語り合うことの意味は大きい。でもそういう人が物理的な空間、会社の中とか、学校の中とかで見つかるというほうがおかしいというのが、先ほど言った、僕のある種の諦観です。そこでおかしいな、誰もまわりにいないなと思ったときに、対象空間をぐうっと広げるのに、インターネットというのはすごく役に立つ。
 ネット上で、ほんとうにたくさんの事例をみているのだけれど、それほど目立っていないあるブログの例を挙げましょう。ページビューで言えば、一日せいぜい三百から五百くらいしかないブログなんだろうと想像するのだけれど、そのブログを毎日読み、コメント欄なので交流している人たちの雰囲気がとてもいいのです。
(中略)
 人間って案外、小さなことで幸せになれる。朝起きたときに、そのブログに、「この本を読んで感動した」と書いてあった。「じゃあ、私も買いにいってみよう」。それだけでずいぶん人生は潤う。

 そこは本当にそう思う。
 その先に、私は、この数日になってからの違和感を述べることにしたわけです(この本を読んだときは違和感はありませんでした)。
 その部分の引用を続けます。

先ほども「炎上」の話をしましたが、そういうふうに幸せにしている、五人か十人がコアメンバーのブログ、ページビュー数百以下のブログで、炎上なんて起こらないですよ。そんなところにやってきて、そのコミュニティを壊そうなんていう人はいないし、オープンなんだけれど、そのブログの存在自体が、ふつうは見つからないから。でもオープンにしていなかったら、そのメンバーは出会えなかったわけです。

 たぶん、それは現実にはまだ正しいでしょうし、今後もたぶん正しいんじゃないかと思います。
 でも、私はそうしたコミュニティの最もナイーブなものが無残に壊されることはありうるなというのと、数百のページビューがいつか数千、数万のページビューになることはそう不思議ではないと思っています。まさか無名の私のブログが、そうなると思っていなかったのだし。


ここからは『極東ブログ』の話からそれるのだけれど、『私塾のすすめ』のこの部分は自然と何度も反芻した。そこで何を思ったかと言えば、単純に「小さくてよかったあ」ということだ。例えば、梅田さんやfinalventさんのような規模のお客さんがいるブログで、「千葉シュポシュポ」だの、「シュンポシオン横浜」だのと同じことを企画しようとしたらたいへんなことになるだろう。例えば先着200名様といった、主催者の意図からすれば本来好ましからぬルールを持ち込むことも必須になる。simpleAの金城さんは、月例会「わいわい」を東京ドームでやる野望を持っているが、このブログは皆さんのブログからやってくるお客さんが少しずつ増えてくるといった成り行きを前提にしてゆっくりやっていきます。

実は僕はこのブログのことを自分に向かって「プロジェクトつれづれぐさ」と称していた。有用性や付加価値に関する戦略とは無縁に“心にうつりゆくよしなしごと”を書き連ねてどこまでお客さんがやってくるのかを試してみようという意味を込めてである。結果から言えば、少しでも有用性、エンターテイメント性、現世の社会生活に関わる付加価値を想像できる文章にお客さんはしっかりと集まるということがよく分かった。この辺りはマーケティングを体験している気分で、やはり人を集めるためにはテーマの一貫性は重要だと思った。それと同時に、ブログはお客さんの数を単純に増やすのが楽しみではない、これはマスメディアではなくて、井戸端会議だと気がつくことになり、それからのブログ書きは随分と気楽に、またより楽しくなったように思う。

finalventさんが、ブログを書くことには「ぞっとするような孤独がある」とお書きになっているが、それが数千から万のアクセスがあるブログを、基本的にマス媒体モデルで書き続けている人の本音なのだろう。どこまでが偶然で、どこからが必然かは知らないが、『横浜逍遙亭』に関する限りそういうものにはならなかったし、これからもこの小ささの価値をうまく維持していきたいと思っている。

というわけで、今週末は「千葉シュポシュポ」開催。僕にとっては初めてお会いできる方が何人かいてとても楽しみ。あとは「わいわい」の定例メンバー、横浜でお会いした方との楽しい再会が待っている。みなさん、どうかよろしく。

■(重要)千葉ッポの注意事項