今日、心の赴くままに書くと昨日通勤途上で聴いたテンシュテットのブルックナー交響曲第4番の素晴らしさしかないのだが、一昨日同じ曲の感想をラトルで書いたばかりなので、ここで紹介するのはまたの機会に譲ることにする。その種の、どうしてもクラシック音楽が好きな人しか喜ばないエントリーが続くのはやはり気が引けるのである。日記じゃないのだし、という意識も働く。アクセスログを見ていると、大江健三郎の話ともども「おっちゃん、その種の話題はいい加減にしてよ」と言われているような気がする。
ところが、このブログは「心の赴くままに」しか書いていないのも事実で、心を占めていたトピックを脇に置いてしまうと、ぽっかりと大きな穴が空いでしまい、書くことがなくなってしまった。まあ、毎日義務で書いているわけでもなし、今日はいいかなとも思う。というわけで、さらにくだけて日記風の感想を少しだけ。
先週末に開高健記念館を再訪して以来、開高センセの作品を再読というか、ぽつぽつと拾い読みをしている。昨日からは『輝ける闇』をめくっている。開高を読むのは常に息苦しい行為である。開高さんをエンターテイメントとしてだけ読む人がうらやましい。そうした言い方は文学消費者の傲慢さの表現になってしまうが、彼がまだ元気に活躍していた頃の、出版社の宣伝文を見ているとそんな気分になることは少なくなかった。しかし、没後20年、次第にエンターテイメントとしての開高のエッセイも、そうではない小説も、次第に読者は減ってゆく。好事家の知るところとだけなって残ることになる。そうなのだろうと思っていた。
ところが、今回の再読で深いところにかすかな動揺が走ったような気分になっていることがある。彼の焦燥や不安が、分かりやすいのだ。自分自身の心の持ちようのせいか、それとも時代の影響か、とその原因に思いをいたす。うまく表現する準備ができていないので、なんと書いてよいか迷うところではある。先日見たインタビュー映像の中で、インタビュアーから「いま感じていらっしゃる大きな危機は何ですか」と尋ねられた開高は「心の危機です。人は外的な危機にはどうにか対応することができる。でも、自分の心の中にある危機だけは簡単ではない」と、例の甲高い声で、鋭いまなざしでまくしたてていた。いま、彼の小説を紹介すれば読者になる若者は少なくないのではないか。開高の不安が大衆に共有される、神経症的な時代になったかもしれない、と日記には書いておこう。
- 作者: 開高健
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