それは枯淡か、老獪さの表現か

開高健大江健三郎に向かって投げかけた言葉を、当の大江健三郎があらためて自分の筆で次のように書き記している。

書斎で私のやっていたことは、つねに「文学」だった。ある座談会で、こうしたレトリックの匠、開高健から、−−きみにとっては本妻も「文学」、情婦も「文学」やものね、といわれたことがあった。
大江健三郎『私という小説家の作り方』)

この座談会の記録をどこで、いつ読んだのか、その記憶はまるで抜け落ちているが、僕は開高のこの発言を鮮明に覚えている。もしかしたら、座談会それ自体ではなく、大江や開高自身がどこかであらためて書いた文章で読んだものかも知れないが、それはともかくとして。

大江健三郎は、こうした自分を振り返る身振りを常にしながら小説を書いてきた人だ。この人は一般大衆の気持ちから常に隔たったところで、文学を通じて現実と普遍との間に橋を架けることだけを考えてきたように見えるが、自分の嫌なところも含めて、率直に表現はしないものの、実は自分自身がかなり見えている人なのではないかと、彼の書いた小説やエッセイを含めて読むたびにふと思ったのも事実である。同時に、その感じ方はどこまで正しいのかと思う気持ちも一方で湧き起こる。大江を読むのは、もともとアンヴィバレントな存在である人間の心に向き合うことをしようとしている自分を意識する行為である。

新作『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』の第一章に、大江の生き写しである主人公のノーベル賞作家が、障害を持つ息子である光さんがてんかんの発作を起こして路上で倒れるのを介抱するさまを回想する場面がある。その回想シーンは、30年ぶりに小説中の大江と再会した登場人物の一人が、その場に行き会ったが声をかけなかったと語りながら、あらためて大江に向かって状況説明を行うというかたちで語られ始める仕組みになっている。そこで大江はこんな風に粗暴な老人として表現されているのだ。

光さんは床に長ながと寝そべっている。野次馬といっちゃなんだが、きみの正体を幾らか知っていそうな婦人たちが、どうしたのか、大丈夫ですかと声をかける。コンサートで一緒だった、という気持ちがあるんだろう。きみは粗野な老人そのもので、じつに無愛想だ……頭をグイと横に振ったり、ブッキラボーに一言、二言、答えたりしている。

さらにこの状況はこんな風に続く。

なにかの公務員めいた女性が、若い男を引き連れて前に出て、自分はこういう処理になれているから、と警備員にいう。きみを無視して、女性は光さんの肩口に手をふれる。きみは周りに詰めた婦人らが動揺するほど荒あらしく、それを振り払う。

大江は初期から自分自身を私小説とは異なる方法で素材とすることによって作品を作ってきた人だ。彼は小説の中の自分にちょっとした失敗をしでかさせたり、道化た味を加えることによって、作品世界にふくらみを与えるという手法を採用してきた。その意味ではここに取りあげた描写もそうした典型的な大江的素材ではあるのだが、以前の大江には、ここまで直裁に格好悪い自分自身、世間知や、如才が欠けたように見える自分自身をエピソードとして取りあげる勇気はなかったのではないか。

ここで、大衆の介入を邪険に振り払う自分を描いて見せた大江は、実際、自身の作品の弁護にかけてはとても強情で、批判的な批評には大人げなくもムキになって反論するようなところがある人だと僕には印象づけられている。もう少し相手に寄り添って議論をすれば、もっと読者にとって身のある内容になるはずなのに、と僕などは思うような文章に出会うことが少なくないのが大江さんという人なのだ。その大江さんが、自身自身の自然な振る舞いがかように人には粗暴に映ることを作品の冒頭でこのように直裁に作品に表現したことに、僕はある種の感銘を受けたというわけだ。

似たような感想は他のシーンでも感じることがあった。それらの印象をもって先日の感想で僕は「枯淡」という言葉を持ち出したのだが、果たして当たっているかどうか。相変わらず、大江の周囲にいる人々は彼が心を許す少数の登場人物だけで、その他大勢の大衆は、彼に無用なプレッシャーをかける無知の輩として配置されている図式は変わらないし、老獪さに磨きがかかってきたのだと言うべきなのかも知れないのだけれど、僕には少しだけ大江健三郎が、生来の強情さを脱ぎ捨てる気持ちになったかのように感じられた。それが、同書を文学好きの友人たちに薦めてみてもいいかなという気分にさせている。


臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ