高橋悠治と三宅榛名の『いちめん菜の花』

mmploさんが紹介なさっていた『いちめん菜の花』というアルバムをお借りしている。早くお返ししなければと思いつつ、これがなかなか楽しくて何度もCDプレーヤーに円盤を乗せる羽目に陥っている。高橋悠治三宅榛名がピアノの連弾でつくったアルバムで、どんなものかはmmpoloさんのブログに三宅が書いたライナーノートを含めて丁寧に紹介がなされているので、ぜひそちらを参照いただければと思う。


■三宅榛名の「いちめん菜の花」というCD(『mmpoloの日記』2007年12月27日)


高橋は前衛音楽の作曲家でピアニスト、三宅もジュリアード音楽院出の一癖あるピアニストである。この二人が自身の作品を中心にした可愛らしい小曲を、おもちゃのピアノや笛、本人たちの下手な歌を交えながら連弾する様を二日間で一気に録音した気楽な一枚とでもいうべき作品集である。

三文オペラ』のナンバーも入っていると言えばご理解いただけると思うが、そもそもどれも、耳に容易になじむ陽気な音楽で、テレビ番組の主題歌やバックグランド曲としても通用しそうな調性感のある軽い雰囲気の作品ばかり。坂本龍一の作品もある。いずれの曲も左手はほとんど単純な伴奏音型。『いちめん菜の花』というアルバム名は、その中に収められた一編のタイトルでもあるが、ジャケットのイラストともどもアルバムの雰囲気はそこに上手に表現されている。

そのいちめん菜の花のような明るさのなか、一癖もふた癖もある二人の才人が作るアルバムには、才人ならではの遊び心が発揮されている。どのナンバーにもひねりがある。前衛の作曲家である高橋にとっては、おそらく作曲・編曲も、演奏にも何の苦労もいらない、ちょっとしたお遊びなのだが、軽い長調の曲にまったく異なる前衛風の楽想がサンドイッチされ最後に元に戻るだまし絵的な工夫があったり、急に不自然な調に転調したり、一方のピアノを他方のピアノが追いかけ始めたり。それを楽しいと捉えるか、ばかばかしいと感じるかで、このアルバムの価値が決まる。

最初聴いたときには、mmpoloさんには申し訳なのだけれど、正直言うと「つまらないなあ」と思った。複雑な人間の営みを追いかける楽しみがここにはない。僕にとってはバッハの複雑なピアノ曲をむしろ聴いていたいし、「調性感を刺激する現代的な味を」というのであれば、例えばショスタコーヴィチの『24のプレリュードとフーガ』という傑作を聴いていたい。高橋・三宅のCDにはポリフォニックなバッハやショスタコーヴィチを馬鹿にするような、知的な単純さがある。だが、単純であるが故にどれも耳に残るのである。けっきょく繰り返し聴いて楽しんでいる。

そして聴きながら、またうっすらと考える。権威に対する抵抗の時代の旗手として、輝ける名声を誇った大江健三郎高橋悠治らの存在は何だったのか。彼らのメッセージの受け手はどこにいま残り、どのように彼らの現在を見ているのか。『いちめん菜の花』は1991年の制作である。

いちめん菜の花

いちめん菜の花