「出発」という名のカフェ

米国東海岸にいるNから欧州出張のおみやげが郵便で届いた。先日書いた「悠々として急げ」と題した文章を読んでくれ、「面白がるだろう紙切れを見つけたので送る」という連絡を電子メールでもらっていた。何だろうと思いつつ、欧州でNと僕との接点と言えば、パリしかないはずで、それも条件反射のようにセーヌ川左岸の学生街、カルチェ・ラタンの風景がすっと立ち上がってくる。Nは高校時代に僕に開高健を吹き込んだ男で、とくに『ベトナム戦記』以降の戦記もの、その時期に数多く書かれた政治的な季節の中における紀行文、魚釣りから食、猥談に至る小話系エッセイまで、開高のあらゆるノンフィクションは彼に勧められるままに読んだ。最初に彼から借りた開高本は分厚い『叫びと囁き』だった。そして、開高にとってパリ、とくにカルチェ・ラタンは憧れの街であり、思い出の街でもある。

封筒から出てきた「紙切れ」を見て、思わずにんまりとしてしまった。まったく予想もしない何かが出てくるのも一興ではあるけれど、おぼろげながら想像の範疇にある品を手にしたことが、今回に限ってはとてもとても嬉しかった。一つは、セーヌ川左岸、ノートルダム寺院を対岸に見据える書店「Shakespeare & Company」のカード。そして、その数軒先、サン・ミッシェル橋の袂に建つカフェ「Le Depart」の二回りは小さな名刺大のカードだ。



Shakespeare & Companyは20世紀の真ん中に開業した英語の書籍を商う書店で、アメリカ人の名物オーナーの存在共々、文字通り世界的な名声を博してきた、もしかしたら世界一有名な書店と言ってもよい存在かもしれない。御礼のメールを送ったらNはこう書いてよこしてきた(以下は無断転載)。

書店はもう90歳位になった初代アメリカ人オーナーから、彼が70歳位のときにフランス人女子大生と作った(!)娘さんに引き継がれたそうだ。よってもうしばらく、この鄙びた雄姿をセーヌ左岸に見ることができそうだ。


これはむかしNから教えてもらった話だが、このオーナー、二十歳前の彼が最初に訪れた頃は、お金がない若い旅行者たちに書店内で雑魚寝をさせていた。お金は取らない代わりに、本を一冊読んで感想を書き残すのが一宿の義務になる。Nもうそういう風にして、店主と仲良しになったらしい。たしか、そんな話だったと思うが、今もこの慣習は残っているのかしら。

■Shakespeare & Companyのホームページへ


その隣にある小さな宿は、開高の傑作『夏の闇』の冒頭、言葉による映像としか言いようがない印象的な情景描写が繰り広げられる舞台となった場所である。一度でよいから泊まりたいと思っているのだけれど、死ぬまでに果たしてその願いがかなえられるかどうか。

カフェ「Le Depart」は、開高のエッセイで知り、一度だけ20代前半の頃にNに連れて行かれて以降、かの街を訪れる貴重な機会があれば、どうしても足を向けたくなる場所。フランス語がからきしの僕はパリに行っても隔靴掻痒、エキサイティングな街の実質には決して届かない歯がゆい思いをするのが常なのだけれど、この「出発」という名のカフェの籐椅子にもたれ、エスプレッソをすすりながらノートルダム寺院と道行く人々を眺めると、言葉をすべて忘れて、静かに明日への力が湧いてくるような気がしてくるのである。今は仕事でもプライベートでも、欧州に行く機会はもてないが、それでも、まれに心の中で「出発」の籐椅子に座る自分を思い浮かべることがある。それは自分にとっては特別のコノテーションに縁取られた行為なのだ。Nはメールでこう綴ってきた(やはり無断転載)。

Le Depart ではサンミッシェル通り沿いに座って人を眺めた。ひと仕事終え、これから何か新たに始めなけりゃならん、という気になった。



個人の感傷に少々寄り添ったこの文章が、お読み頂いている方々に対してもなにがしかのメッセージになっているものか、少し心配しながら書きつづっている次第だが、ともかくも、新年が皆さんにとっても新たな「出発」のときとなることを願ってやみません。