選択肢

インターネットで組織化した大規模モニターを活用して市場調査をやっている会社の知人に仕事を変わることを知らせたら、「そんなことを考えていたのなら、いま人を募集しているのでうちに来て一緒にやってもらいたかったのに」と言われてしまった。かなりの規模の安定した会社だし、この知人は信頼できる人だし、その選択肢も悪くなかったかもしれないとちらと思う。「その次はぜひうちに」という言葉もあながち冗談ではないようにも聞こえる。そんな風に声をかけてくれる人がいるのは何とありがたいことだろうと感謝の念を禁じ得ない。捨てる神あれば拾う神ありだ。

でも、市場調査は僕にとっては次第に昔の思い出になりつつあるのも事実で、正直なところ、自分の心の中に立ったさざ波をしらふで見つめるような気分でもあるのだ。17年もやった仕事で、6年前に今の会社に来たときにはそれ以外にできることもなかったはずなのに、この執着のなさはなんなんだろうと思わず我が身の淡泊さを振り返る身振りをしてしまう。

僕は調査の仕事を請け負う会社に長くいて、そこで大企業や官公庁様から仕事をもらってやっつけることで生計を立ててきた。主に消費者のニーズを分析して、その企業が行っているサービス開発の市場性を計る材料を提出したり、新サービス探索のためのアイデアを出したりといった仕事が中心だった。

これは人によって感じ方はかなり異なるとは思うのだが、僕の場合、そうしたマーケティングに関わる仕事をしていると、人や社会がよく分かるようになるという感覚よりも、人の心のとらえどころのなさを常に知らされながら生きているような気分にさせられることが多かった。とらえどころのないはずの嗜好やニーズを、恣意的に設定した尺度を用い、ある一瞬の断面で切ってみせ、これはこういう意味で、だから御社のサービスの方向性としてはこうするとOKですよ、こっちの方向は駄目ですよ、などと報告資料をしている最中は、目の前の対象をやっつけることに一生懸命で気分は高揚するし、それなりに世界の成り立ちの秘密の一部なりとも掴み取ったような気になるときがある。
ところが、それなりに「やった」と思った仕事も、2年が経ち、3年が経つうちに自分が作った報告の内容を反芻すると「あのときのあれは何だったんだろう」とその内容の不備に目がいってしまうことの方が多い。多くの過去は振り返ると常にそういう風に見えるものかもしれないが、自分で事業にかかわらずに単発の報告書だけを提出する仕事には、自分で自分のしたことの尻ぬぐいができない点、自分の意思でその先の進み行きに関与できない点にその職業に固有のフラストレーションがあった。もちろん、楽しいことだっていくつもあったのも事実だけれど、自分の仕事にもっと責任をもって関わりたいという気持ちの揺れが、長く勤めた会社を辞めるどたばたの根っこに少なからずあったのは事実だ。コンサルティング会社などからメーカーの企画職に異動するような人たちにも似たような動機があると思う。

それはさておき、勝手知ったる仕事に誘われて、どこかに冷めた部分があるのはどうしてだろうと考えると、調査の仕事は僕にとって「できること」ではあっても、本当には「好きなこと」ではなかったという以外にうまい答えがない。もう少しだけ「好きなこと」を含む仕事に関わらせてもらってもいいんじゃないかという思いが、今回の異動の下地にあることをあらためて意識させられたような気がする。

ただ、そう考えることにはリスクも大きい。「好きなこと」がその人にとっての「できること」になって、人生の充実を感じることができれば、それが職業における最高の幸せだとは思う。でも、あくまで「できること」あっての「好きなこと」なのだ。これは絶対そうなのであって、何故ならば「できること」はその概念の中に社会がすでに封じ込められているから。「できる」は僕の理解では他者の評価を媒介にしたコンセプトである(もちろん、自分一人で「できる」と思いこんじゃう楽天家もたまにはいるが)。これに対して「好き」は個人の夢の領域で存在しうる。ここで「人の中で鍛えられないものはやっぱり本質的に駄目なんだぜ」と考えることは重要だ。とすれば「できること」と「好きなこと」が不幸にも乖離する場合、「できること」を優先するのが、まずは取るべき方向だと考えることは理にかなっている。「できること」を個人が戦略的に整えないとひどい目に遭う厳しい時代である。ほんとうに生きていくのは楽ではない。