悠々として急げ

広島にお住まいのrairakku6さんから、お嬢さんとのこんなやりとりが報告されたのを読んで、思わずにっこり。

■「悠々として急げ」とは(『rairakku6の日記』2007年12月18日)


この秋、開高健のお墓を初めて訪れ、そのことをこのブログに書いたら、高校生の頃からの友人で米国に住んでいるNからメールをもらった。お互い“悠々として急げ”という言葉が切実に感じられる年代になってきたなと書いてあった。Nは今から30年前に開高を僕に吹き込んだ男だ。

rairakkuさんの文章を読んでインターネットのあちこちを見るまで開高の隻句「悠々として急げ」の大元であるかつてのローマ皇帝の警句「フェスティナ・レンテ」が、「物事をなすに当たっては慎重であれ」つまり、どうやら「急がば回れ」と翻訳されるのが妥当な言葉であるとはまったく知らなかった。しかし、これを「急がば回れ」と言ってしまうと、そのとたんに開高がかけた言葉の魔法は解けてしまう。やはり、これは常に、何がどうあっても「悠々として急げ」でなければならない。言葉の微妙さ、それを操る人の心のあやとは何と美しいものだろうと、あらためて小さいが確固とした感慨を覚えた。

この場合の「急げ」は迅速にことを成せという意味。我々の職業生活は、いつの時代になってもこれが基調。開高大兄の時代には、世は高度成長期で、人々は皆ひたすら急いでいた。急いで、頑張って、そうすれば明日は頑張っただけ、急いだだけよいことがある。そんな直線上にある物質的な豊かさが常に鼻先に見えている時代だった。これに対して、今の日本はどうだろう。悲しいかな、明日の豊かさはまったく見えず、その日の平安が少しでも長持ちしてくれたらという小さな幸せに甘んじる人たちが、僕も含めて大多数になってしまったのではないかと思うのだが、しかし、それでもなお、世間はダウンサイジングだの、ビジネス・プロセス・エンジニアリングだの、見える化だの、効率的であることに対しする自覚を日々深め、便利なITがそれに火をつける。内なる声にせき立てられるのではなく、むしろ「急げ」とかけ声をかけられているありまさだ。

それはさておき、開高さんは皆が脇目もふらずに急いでいた時代に「悠々として」と書いた。読者はそれを読んで、その瞬間に雲間から青空が覗いたような、光の一筋が地に向かって落ちるような覚醒の感に打たれなかったか。もし、僕が書いたように現代が急ぐのではなく、むしろ急かされる時代であるならば、「悠々として急げ」はお洒落な皮肉に聞こえてしまうかもしれない。それはとても悲しい。あくまでこの言葉は、心の中に自らの目標を掲げて日々を懸命に生きる人に向けて存在するものと僕は信じているから。開高も小説を書くことだけが自分の人生だと思い詰め、書けずに書斎にたれ込め、鬱の症状と体の不調に悩まされながら、常に急いでいた人だった。しかし、アマゾンに釣をし、モンゴルに出かけ、「悠々として」生きている様を常に見せようとする、その後ろに焦燥に苛まれている自分を隠すことをしないではいられないダンディズムの人でもあった。

その大きさ、困難さに程度の差はあれ、何事かを心に秘めて毎日を急いでいる人にとって、心の中に余裕を持って豊かな日常を生きることの難しさはいつの時代にあっても言を待たない。そしてそれは歳をとれば取るほど難しくなる一面がある。残された時間は次第になくなってくることもまた自覚しないわけにはいかないから。であればこそ。世知辛い世間の風の吹く中、急いだ途上で培った体験、経験をもろともに、大人の余裕を携えしっかりと呟いてみようではないか。「悠々として急げ」と。