上善水の如し

病気をする前は永遠の青年と言いたくなるほど若々しい風貌だった指揮者のクラウディオ・アバドも76歳になり、久しぶりに写真を見るとたしかに76歳のおじいさんになっていた。しかし、一昨日のエントリーで書いたように、その彼が病気を経て今まで聞こえなかった旋律が聞こえるようになってきたと言う。プロの、それもアバドほどの超一流の指揮者に聞こえないはずの旋律など音響工学的な意味合いでは存在しないはずなので、彼が言っているは彼の認識の世界での問題である。あらためて、それはすごいことだと感じ入るところがあり、また再びこんな風にブログを書き綴っている次第だ。昨日書いた美崎薫さんの実践と私の中では呼応する部分もある。音楽家が楽譜を勉強するのは、それこそ繰り返し、繰り返し、一つの楽譜から新しい何かを汲み取る精神の作業。よく名演奏家が同じ演奏は一つとしてないと言うが、おそらく誇張ではないのだと思う。


そのアバドマーラー室内管弦楽団、オケ同様若手の歌手達とつくった『魔笛』のCDを抜粋盤で聴いた。アバドはオペラ指揮者としても定評がある人(むしろオペラの方がよい? 私はそう思う)なので、彼にとって今回が初めての『魔笛』の録音というのは意外な感じがする。昨年発売され、好評を得てグラモフォン誌の賞も取ったらしい。


演奏は、なんというか、例えて言うならば湘南沖に乗り出した小さなヨットが心地よい風を受けて穏やかな波の間をすべっているとでも表現すればよいだろうか。早めのテンポ、思いがけない波や風の揺らぎを感じるような自然で、しかし感覚をしっかりと刺激する微妙な旋律の処理がここそこにある。他の演奏では聴かない装飾的な手当が盛り込まれるが、それが嫌みにならず、音楽はあくまで自然に、肩肘を張らずに流れていく。アバドが到達した世界をひと言で表現するならば「上善水の如し」。90年代の後半にベルリン・フィルを使って強いウォッカのようなブルックナーの5番を演奏する彼に接した経験がある身からすれば、小さいなりに感慨めいたものがある。彼もいろいろあっただろうが、でも俺にもあったな、といった類の。


歌手の中には、これも先週取り上げたケネス・ブラナー監督の映画『魔笛』で英語のザラストロを歌っていたルネ・パーペがいて、ドイツ語でザラストロを歌っている。このディスクに最初に注目したのは、アバドよりもむしろ彼を聴いてみたいと思ったからだ。映画で聞こえてくる誇張された音響に比べると、正直なところ彼の声は淡泊に聞こえてしまったところがあるのだが、あれだけしっかりと低音が出る本格的なバス歌手は滅多にいないだろうし、この人の歌い回しにはデリカシーがある。これから注目したい歌手だ。


また、夜の女王を歌っているエリカ・ミクローサという人も素晴らしいのでびっくりした。楽々と高音を出す技術があると、夜の女王のアリアにも普段聴くことができない情感が乗る。先日紹介したスイットナー盤は私の好きな録音だが、夜の女王はいっぱいいっぱいで少し厳しいものがある。ミクローサはグルヴェローヴァ級のスターになる人なのだろう。


ベートーヴェン的なカタルシスの音楽を聴きたいときには肌に合わないかもしれないけれど、強い酒よりも山の水の気を味わいたいような気分のときに取り出したくなるディスクだ。抜粋盤は輸入物であれば2000円以下で購入できるので、『魔笛』の最初の一枚としても悪くない。


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